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2012年10月21日

歴史から学ぶことのむずかしさ (宮城県・石巻湾沿岸)

日和山に上がる階段の下に、先の大津波の碑が建っていました。




石巻湾の海岸線に近い石巻市民病院付近一帯は、雑草でおおわれていました。




がれきは、まだまだうず高く積み上げられたままです。




そして、津波に遭遇された方の車が、ナンバーの付いたまま積み上げられていました。
乗っていた方は無事に逃げだせたのでしょうか?
胸の詰まる思いがしました。




その付近に、石巻文化センターと石巻市立病院がありました。
海にとても近かったのですね。




1933年(昭和8年)5月の「鉄塔」に掲載された寺田寅彦の「津浪と人間」。
昭和8年3月3日の早朝に襲ってきた津波を受けて書かれています。




明治29年6月15日に同じ地方で起こった「三陸大津波」とほぼ同様な自然現象が、約37年後に再び繰り返されたと書かれてあります。
しかし、当時の被害の記憶は、どんどん忘れ去られていったと戒めています。
37年という年月が短いのか長いのか。
地球物理学者でもあった彼は、その中でこう書いています。

「間違いなく何年かに1回はきっと十数メートルの高波が襲ってくるのであったら、津浪は天災でも異変でもなくなる…」と。




そして、その作品の最後に(追記)としてこんなことが書かれています。

「ある地方では明治29年の災害記念碑を建てたが、それが今では二つに折れて倒れたままになってころがっており、碑文などは全く読めないそうである。またある地方では同様な碑を、山腹道路の傍で通行人の最もよく眼につく処に建てておいたが、その後新道が別にできたために記念碑のある旧道はさびれてしまっているそうである。それからもう一つ意外な話は、地震があってから津浪が到達するまでに通例数十分かかるという平凡な科学的事実を知っている人が彼地方に非常に稀だということである。前の津浪に遭った人でも大抵そんなことは知らないそうである。」

この作品は、79年も前の昭和8年に書かれたものです。



この記念碑が同じようなことにならないようにと願わずにはいられませんでした。
歴史から学ぶということは、簡単そうでとてもむずかしいものです。
それは、人間の持っている時間軸が地球の歴史の中ではあまりにも小さいからなのでしょうか。
そんなことを思いながら・・・。

寺田寅彦の「津浪と人間」です。
クリックして下さい。
  ⇓
【青空文庫】
作品名:津浪と人間
著者名:寺田寅彦
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card4668.html  

Posted by Norichan at 06:30Comments(0)