京つう

アート/芸術  |洛中

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2012年10月30日

光る海・光る鉄路 (北陸本線 糸魚川-親不知)

日本海に日が沈みます。




鉄路が夕陽に光ります。




夕陽に向かって・・・




「出発進行!」


  

Posted by Norichan at 06:30Comments(1)鉄道

2012年10月29日

大丈夫でしょうか? (新潟県・柏崎刈羽原発)

♪ うみは荒海 むこうは佐渡よ 
    すずめ啼け啼け もう日はくれた 
       みんな呼べ呼べ お星さま出たぞ ♪
北原白秋の「砂山」です。




柏崎の海岸に行くと、つい口ずさんでしまう童謡です。




しかし今は・・・
むこうは柏崎刈羽原発です。




柏崎中央海水浴場から10数キロの近さ。
大津波があったら、ひとたまりもありません。
2013年6月までに、海抜高さ15mの防潮堤を設置するとか。
でも、大丈夫でしょうか?
活断層が横を走る立地の中で、何かあったら・・・
今回の福島の事故を考えると、住民の皆さんも不安だと思います。




原子力マネーによる立派な施設の数々。
地元には国から巨額な支援がされているのも確かです。




「原子力災害時コンクリート屋内避難施設」
この施設が、そんな避難所にならないことを祈ります。




その施設内にあった滑り台は、壊れていて修理もされず放置されていました。
不十分なメンテナンス。
原発のメンテナンスはこんなことがあってはなりません。
でも、大丈夫でしょうか?

たかが滑り台?
されど滑り台!


  

Posted by Norichan at 06:30Comments(0)

2012年10月28日

ローカル線の楽しさ (新潟県&福島県 磐越西線)

ローカル線の楽しさは、地元の皆さんといっしょの時間が過ごせることです。




どの駅にも、可憐な花が植えてあります。




沿線にはコスモス畑も・・・




福島県会津地方の郷土玩具である赤べこ(あかべこ)さんもお花を背負ってます。



窓を開けると、阿賀野川沿いの澄んだ空気が入ってきました。




  

Posted by Norichan at 18:00Comments(0)鉄道

2012年10月27日

八重を知ってる石垣たち (福島県・会津若松)

甲賀町口の石垣はただ1つ残る郭門。
この石垣は、間違いなく山本八重(のちの新島八重)を知っています。




蔦の絡まる石垣。




1868年(慶応4年8月23日)10月8日。
会津戦争の母成峠の戦いに勝利した官軍が若松城下に到達。
白虎隊二番士中隊員20人が飯盛山で自刃しました。




そんな歴史を、この石垣たちはしっかり見つめてきたのです。
何も言わずに、でもその歴史を十分語ってくれます。


  

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2012年10月26日

戦いの場は憩いの場に (福島県・会津若松鶴ヶ城)

2年ぶりに訪ねた鶴ヶ城。




均整のとれた天守閣から、南走長屋と干飯櫓と続きます。




黒瓦だった天守の屋根瓦が、明治時代に解体される以前の赤瓦葺に復元されていました。




城内には、いたる所に桜の木があります。
戦いの場であった鶴ヶ城は、今は憩いの場になっています。




来年の大河ドラマは、会津戦争で最後まで戦った山本八重、のちの新島八重が主人公です。
八重さんは、再建された鶴ヶ城を感慨深げに見ていることでしょう。

  

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2012年10月25日

秋になりました (福島県・会津若松駅)

蒸気機関車C57が、すすきを揺らします。




2年ぶりに訪ねた福島県。




C57の汽笛は、あいかわらず郷愁とともに力強さを感じます。




やっと届いた秋の風は、一足飛びに冬の訪れを予感させます。

  

Posted by Norichan at 06:30Comments(0)鉄道

2012年10月24日

明日に向かって (宮城県・石巻市内)

サイボーグ009島村ジョーが未来を見つめています。




活気を取り戻しつつある石巻市内の商店街。




石巻を訪れる人も増えてきているようです。




約6~8mの津波に襲われた北上川の中洲にある石ノ森萬画館も、11月17(土)に再オープンされるそうです。
石巻への活気を、サイボーグ009が連れてきてくれそうです。

  

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2012年10月23日

明日への掛け声 (宮城県・石巻市立門脇小学校)

小学校の校庭先に、可憐な花が咲いていました。




ここは、石巻湾のすぐ近くにある石巻市立門脇小学校。
大津波で甚大な被害を受けられました。
今は、門脇中学校のお兄さんお姉さんのところで学習していると聞きました。




そんな校庭から、野球の練習をする学生さんたちの元気な声が響いていました。
元気な掛け声に、明日への力強さを感じました。

「門小 ガッツ 僕らは負けない」

  

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2012年10月22日

明日への祈り (宮城県・石巻湾沿岸)

草が生い茂る中にひっそりと置かれたお供え。
静かに手を合わせました。




すぐ裏手にある日和山に登りました。
この山へ住民の方々がすべて登れていたら・・・
そう思うと、涙が止まりませんでした。
山の上からは、先ほどの南浜の街が見下ろせます。




すぐ向こうには、太平洋の海原。




明治35年に石巻を訪れた石川啄木が詠んだ歌がありました。

「砕けてはまたかへしくる大波の
           ゆくらゆくらに胸おどる洋」




日和山にある鹿島御児神社の鳥居が、その海を見つめていました。

  

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2012年10月21日

歴史から学ぶことのむずかしさ (宮城県・石巻湾沿岸)

日和山に上がる階段の下に、先の大津波の碑が建っていました。




石巻湾の海岸線に近い石巻市民病院付近一帯は、雑草でおおわれていました。




がれきは、まだまだうず高く積み上げられたままです。




そして、津波に遭遇された方の車が、ナンバーの付いたまま積み上げられていました。
乗っていた方は無事に逃げだせたのでしょうか?
胸の詰まる思いがしました。




その付近に、石巻文化センターと石巻市立病院がありました。
海にとても近かったのですね。




1933年(昭和8年)5月の「鉄塔」に掲載された寺田寅彦の「津浪と人間」。
昭和8年3月3日の早朝に襲ってきた津波を受けて書かれています。




明治29年6月15日に同じ地方で起こった「三陸大津波」とほぼ同様な自然現象が、約37年後に再び繰り返されたと書かれてあります。
しかし、当時の被害の記憶は、どんどん忘れ去られていったと戒めています。
37年という年月が短いのか長いのか。
地球物理学者でもあった彼は、その中でこう書いています。

「間違いなく何年かに1回はきっと十数メートルの高波が襲ってくるのであったら、津浪は天災でも異変でもなくなる…」と。




そして、その作品の最後に(追記)としてこんなことが書かれています。

「ある地方では明治29年の災害記念碑を建てたが、それが今では二つに折れて倒れたままになってころがっており、碑文などは全く読めないそうである。またある地方では同様な碑を、山腹道路の傍で通行人の最もよく眼につく処に建てておいたが、その後新道が別にできたために記念碑のある旧道はさびれてしまっているそうである。それからもう一つ意外な話は、地震があってから津浪が到達するまでに通例数十分かかるという平凡な科学的事実を知っている人が彼地方に非常に稀だということである。前の津浪に遭った人でも大抵そんなことは知らないそうである。」

この作品は、79年も前の昭和8年に書かれたものです。



この記念碑が同じようなことにならないようにと願わずにはいられませんでした。
歴史から学ぶということは、簡単そうでとてもむずかしいものです。
それは、人間の持っている時間軸が地球の歴史の中ではあまりにも小さいからなのでしょうか。
そんなことを思いながら・・・。

寺田寅彦の「津浪と人間」です。
クリックして下さい。
  ⇓
【青空文庫】
作品名:津浪と人間
著者名:寺田寅彦
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card4668.html  

Posted by Norichan at 06:30Comments(0)

2012年10月20日

明日へのつち音 (宮城県・石巻港付近)

石巻港付近の水産加工工場などは、大きな被害を受けました。




当時の津波の高さは、海抜7m。
その高さに、その時の津波の大きさを肌で感じました。




あれから1年7カ月。
多くの工場跡には、雑草が生い茂っています。




街路樹も海水に侵されて、立ち枯れしていました。




しかし、周りからは、改築や新築の工事のつち音が聞こえていました。
普段ならうるさいと思う重機の音も、ここでは明日を奏でる前奏曲に聞こえていました。

「がんばろう宮城」



『がんばれ 宮城』  

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2012年10月19日

明日につながる足跡 (宮城県・渡波海水浴場)

JR石巻線の渡波駅に近い海岸。
きょうも漁をする船が、海の光に輝いています。




ここは、美しい砂浜の渡波(わたのは)海水浴場。
二羽のカモメが日向ぼっこです。




しかし、防波堤は津波で壊されています。




津波の避難先を示す立て札が、何と空しいことか。




「夕焼け 月夜に咲く漁火に 朝日に輝く黄金」
そんな文字が描かれた堤防が破片となっていました。




この海岸線の足跡は、きっと明日につながっています。



  

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2012年10月18日

鉄路よ蘇れ (宮城県・渡波駅)

信号機には、X印。




線路が続いているのに、線路の上は枕木で遮られています。




気動車は、ここから折り返し運転です。




2年ぶりにやっと訪れた石巻線の渡波(わたのは)駅。




津波襲来当時は、この線路内まで車が運ばれたといいます。




「渡波」の次の「万石浦」(まんごくうら)の表示が、早く蘇ることを願って・・・





  

Posted by Norichan at 06:30Comments(2)

2012年10月17日

新しい古き駅 (東京都・東京駅)

みんなが天井を見上げています。




今月復元オープンされた東京駅のドームです。




真新しく復元された東京駅は、やはり威風堂々としています。




正面の入り口も立派になりました。
今度は、東京駅ステーションホテルに泊まりたいですね。




高層ビルにはない暖かさが、このレンガ造りの駅舎にはあります。
そんな古き良き時代を思い起こさせてくれる新しい東京駅です。

  

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2012年10月16日

やはり日本一 (静岡県・富士川)

東海道本線に乗っていて、一番ワクワクするのは、富士川を越える時です。
この富士山が見れると、それだけで幸せな気分になります。




まわりは、製紙工場の煙突が建ち並んでいますが、小さく見えても日本一です。




日本人で良かったと思う瞬間です。



  

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2012年10月13日

石垣の声 (滋賀県・彦根城)

どっしりとした石垣の上に、天守閣がそびえます。




国宝の彦根城。
姫路、犬山、松本、そして彦根の4城の天守が国宝です。




左右対称に建てられている天秤櫓に廊下橋がかかります。




天秤櫓の石垣も美しい。




可愛い忍者さん。
石垣と語り合いたくなりますが、文化財ですよ。




小柄ながらも、威風堂々とした美しい彦根城です。

  

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2012年10月12日

提灯の暖かさ (滋賀県・大津祭)

提灯の灯りは、人を引き入れてくれるような暖かさがあります。




昔は、ロウソクの灯が揺らめきながら提灯を灯していたのですが、電灯に代わっても、その暖かさには変わりがありません。




つい、土間の中に招き入れてもらえそうな町屋。




昔の人にとっては、これだけの提灯の灯りに照らされた町並みは、昼間のような明るさだったに違いありません。
そんな暖かい提灯に彩られた大津の街でした。





  

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2012年10月11日

大津の宵山 (滋賀県・大津祭)

提灯に彩られた宵山の山。




これは、10月6日の大津です。




まるで祇園祭のような華やかさがあります。




江戸時代のはじめに始まったという大津祭。
周りには、まだまだ昔ながらの町屋が残っています。




この祭りをささえているのは、このような町屋を残している大津町衆の心意気かもしれません。



  

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2012年10月10日

携帯の向こう (京都タワー・ピンクリボンライトアップ)

携帯の向こう側に、京都タワーが映っています。




京都駅前から見える京都タワーを見上げる人たち。




でも、きょうの京都タワーはどこかピンク色に見えます。




ピンクの京都タワーが2本です。




乳がん検診の大切さを伝えるピンクリボン運動の一環で、10月6日に京都タワーがこの日だけピンク色にライトアップされたのでした。




早期に発見できれば、90%以上が治るといわれている乳がん。
ぜひこの機会に、乳がん検診を!
ご自身のために、そして大切なパートナーのために。


  

Posted by Norichan at 06:30Comments(2)京の旅

2012年10月09日

蔦 (岡山県・倉敷)

蔦の絡まる喫茶店。




喫茶エル・グレコは大正時代のたたずまいです。




その隣には大原美術館。
喫茶エル・グレコの建物は、大原美術館の設立者である大原孫三郎の事務所として大正末期に建てられたものです。




さあ、エル・グレコの名画「受胎告知」を観に行きましょう。

  

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