2008年10月12日
東寺の満月~東寺五重塔~
東寺の五重の塔は「京都へ着いた!」と感じさせてくれる建物です。
京都駅から一番近くにある世界文化遺産です。
透き通った夜空には満月。
微かな光で、五重の塔が浮き上がっていました。
境内の木々は紅葉しているようです。
南門のお堀には、満月が映って、水面の月は揺れていました。
京都駅から一番近くにある世界文化遺産です。
透き通った夜空には満月。
微かな光で、五重の塔が浮き上がっていました。
境内の木々は紅葉しているようです。
南門のお堀には、満月が映って、水面の月は揺れていました。
2008年10月12日
大海から小宇宙へ(東福寺方丈南庭)
昨日は、東福寺の方丈北庭を再度撮影するために、閉門ギリギリの午後4時過ぎに入館。
お目当ての北庭を撮り終えた時は、もう閉門10分前。
太陽が沈みだしていました。
そして、南庭を見たとき、夕日が白い砂紋を薄っすら赤く染めていました。
その砂紋は、昼間に見たときよりも陰陽がはっきりして、そのコントラストの差が、昼間とは違い荒々しさというか躍動感を感じさせてくれました。
人影がなくなった夕日に染まる南庭は、夕日が沈む大海そのものに見えました。
そして、そのスケールの大きさは、大海という地球規模から、沈みゆく太陽を中心とした太陽系、銀河系をも越える小宇宙をイメージさせてくれました。
お目当ての北庭を撮り終えた時は、もう閉門10分前。
太陽が沈みだしていました。
そして、南庭を見たとき、夕日が白い砂紋を薄っすら赤く染めていました。
その砂紋は、昼間に見たときよりも陰陽がはっきりして、そのコントラストの差が、昼間とは違い荒々しさというか躍動感を感じさせてくれました。
人影がなくなった夕日に染まる南庭は、夕日が沈む大海そのものに見えました。
そして、そのスケールの大きさは、大海という地球規模から、沈みゆく太陽を中心とした太陽系、銀河系をも越える小宇宙をイメージさせてくれました。
2008年10月12日
東山魁夷の世界へもう一度(東福寺方丈北庭)
先週行ったばかりなのに、また東福寺へ行ってきました。
これは、もうひとつのブログの取材のためです。
いま、東山魁夷の「京洛四季」というシリーズの中で描かれた場所を訪ねて、その思いを写真で再現しようとしています。
現在、11の作品を写真で表現し、合わせて、現場に立った今の私自身の思いを写真で綴っています。
<東山魁夷「京洛四季」の風景を訪ねて>
http://superman007.cocolog-nifty.com/norichan/
彼は、東福寺では、杉苔と敷石だけで表現した北庭を「東福寺庭」という作品で描いています。
彼の絵のイメージを写真で表現しようと思ったのですが、先週訪れたときは天気が良すぎたので、北庭にはちょうど大事な部分に屋根の影と日差しの境がくっきり!
1時間たっても、天気が良すぎて、境目は無くなりませんでした。
そこで、再度日差しの沈む頃を狙って訪れました。
結果は、思ったイメージを写真に収めることが出来ました。
(東山魁夷の絵が載せられなくて残念です・・・本でご覧下さい)
この「京洛四季」は、春夏秋冬の中での京都の風景を描いています。
季節、時間、天候によって刻々と変わる京都の風景。
東山魁夷が「京洛四季」というシリーズで描き出したのは、ノーベル文学賞を受けた川端康成が、「京都は今描いといていただかないとなくなります。」と魁夷に言った言葉に答えたのだそうです。
描かれたのは、1960年代。
彼が60歳を過ぎた頃です。
そして、48年を過ぎた現在。
変わってしまった京都、そして、まだ変わらぬ京都。
絵画として東山魁夷が伝えたかった「思い」を、写真という形で何とか表現できたらと思っています。
日没前の太陽の日差しは、先週と違って、暖かい光でした。
そろそろ紅葉の兆しがしました。
<東山魁夷「京洛四季」の風景を訪ねて>
これは、もうひとつのブログの取材のためです。
いま、東山魁夷の「京洛四季」というシリーズの中で描かれた場所を訪ねて、その思いを写真で再現しようとしています。
現在、11の作品を写真で表現し、合わせて、現場に立った今の私自身の思いを写真で綴っています。
<東山魁夷「京洛四季」の風景を訪ねて>
http://superman007.cocolog-nifty.com/norichan/
彼は、東福寺では、杉苔と敷石だけで表現した北庭を「東福寺庭」という作品で描いています。
彼の絵のイメージを写真で表現しようと思ったのですが、先週訪れたときは天気が良すぎたので、北庭にはちょうど大事な部分に屋根の影と日差しの境がくっきり!
1時間たっても、天気が良すぎて、境目は無くなりませんでした。
そこで、再度日差しの沈む頃を狙って訪れました。
結果は、思ったイメージを写真に収めることが出来ました。
(東山魁夷の絵が載せられなくて残念です・・・本でご覧下さい)
この「京洛四季」は、春夏秋冬の中での京都の風景を描いています。
季節、時間、天候によって刻々と変わる京都の風景。
東山魁夷が「京洛四季」というシリーズで描き出したのは、ノーベル文学賞を受けた川端康成が、「京都は今描いといていただかないとなくなります。」と魁夷に言った言葉に答えたのだそうです。
描かれたのは、1960年代。
彼が60歳を過ぎた頃です。
そして、48年を過ぎた現在。
変わってしまった京都、そして、まだ変わらぬ京都。
絵画として東山魁夷が伝えたかった「思い」を、写真という形で何とか表現できたらと思っています。
日没前の太陽の日差しは、先週と違って、暖かい光でした。
そろそろ紅葉の兆しがしました。
<東山魁夷「京洛四季」の風景を訪ねて>
2008年10月12日
旧東海道沿いのお地蔵様(山科地蔵)
東山区山科には素晴らしい神社仏閣がいっぱいあります。
JR山科駅を降りて、一つ目の信号を横切っているのが旧東海道。
左に折れて5分も歩くと「毘沙門堂は左」という看板があります。
ここは、あと1ヶ月もすると、紅葉が真っ盛りとなる素晴らしいところです。
毘沙門堂はまた紹介するとして、今回は、旧東海道に面した「徳林庵」の山科地蔵。
この境内にある地蔵尊は、四ノ宮地蔵、山科廻(めぐり)地蔵とも呼ばれています。
この地蔵尊が安置されているお堂は六角形。
旧街道沿いですから、すぐにわかります。
旧東海道の出入口ということで、旅人はここで厄を落としたり休憩していたのでしょう。
毎年、8月22・23日は六地蔵めぐりの縁日が出て賑わうそうです。
でも、普段は地元の人の毎日のお祈りの場なんです。
お堂の裏には、「わらべ地蔵」が6体並んでいます。
みんないろんな表情をしていて、何とも愛嬌のあるお地蔵様です。
いつもこんな笑顔でいたいですね。
お堂の近くに、昔からあるお店を見つけました。
手書きの値段表には、京野菜の「万願寺とうがらし」と書かれていました。
この街道を滋賀県に向かっていくと、すぐに「逢坂山の関」」への峠の登りになります。
「これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも逢坂の関」・・・(蝉丸「後撰集」)
JR山科駅を降りて、一つ目の信号を横切っているのが旧東海道。
左に折れて5分も歩くと「毘沙門堂は左」という看板があります。
ここは、あと1ヶ月もすると、紅葉が真っ盛りとなる素晴らしいところです。
毘沙門堂はまた紹介するとして、今回は、旧東海道に面した「徳林庵」の山科地蔵。
この境内にある地蔵尊は、四ノ宮地蔵、山科廻(めぐり)地蔵とも呼ばれています。
この地蔵尊が安置されているお堂は六角形。
旧街道沿いですから、すぐにわかります。
旧東海道の出入口ということで、旅人はここで厄を落としたり休憩していたのでしょう。
毎年、8月22・23日は六地蔵めぐりの縁日が出て賑わうそうです。
でも、普段は地元の人の毎日のお祈りの場なんです。
お堂の裏には、「わらべ地蔵」が6体並んでいます。
みんないろんな表情をしていて、何とも愛嬌のあるお地蔵様です。
いつもこんな笑顔でいたいですね。
お堂の近くに、昔からあるお店を見つけました。
手書きの値段表には、京野菜の「万願寺とうがらし」と書かれていました。
この街道を滋賀県に向かっていくと、すぐに「逢坂山の関」」への峠の登りになります。
「これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも逢坂の関」・・・(蝉丸「後撰集」)