京つう

アート/芸術  |洛中

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2008年11月09日

マルチアーチスト光悦が感じた秋~光悦寺~

本阿弥光悦は、徳川家康から鷹峯の地をもらい、この村に芸術村を作りました。
陶芸、漆芸、出版、茶の湯などにも携わったマルチアーティストの光悦。
広い境内には茶室が点在し、光悦の死後、お寺になりました。
それが光悦寺です。



苔むした茶室への門の屋根には、もみじの葉は落ちていました。




茶室のひとつ、太虚庵を囲んでいる垣根が「光悦垣」と呼ばれ、竹で作られた湾曲して垣根で、垣根の高さは入り口が高くて離れるにしたがって低くなっていきます。
多分、茶室から眺めると、狭い庭が、垣根の高低差の目の錯覚で、より広く感じさせる効果を持たせたのではないかと思います。






眼下には、京都市街の街並みが見下ろせます。




このような素晴らしい環境の中で芸術を極めた光悦は80年の人生を過ごしました。







【東山魁夷「京洛四季」の風景を訪ねて】も更新しました。
  

Posted by Norichan at 14:00Comments(2)京の旅