2009年01月10日
雪が描いた大文字~如意ヶ岳~
朝のうちが雪が降っていた京都。
市内は、午後からは、雪晴れに。
如意ヶ岳の右大文字山は、雪がきれいに「大」の文字を浮き上がらせてくれました。
今出川通りを大文字山の方向へ。
鴨川を越えると、きれいに見えてきます。
百万遍を越えると、間近に迫ってきます。
この先は、銀閣寺に突き当たります。
そういえば、もう何年も大文字山に登っていません。
市内は、午後からは、雪晴れに。
如意ヶ岳の右大文字山は、雪がきれいに「大」の文字を浮き上がらせてくれました。
今出川通りを大文字山の方向へ。
鴨川を越えると、きれいに見えてきます。
百万遍を越えると、間近に迫ってきます。
この先は、銀閣寺に突き当たります。
そういえば、もう何年も大文字山に登っていません。
2009年01月10日
元気な子供が授かりますように~わら天神~
金閣寺の近くにある敷地神社(しきちじんじゃ)は、「わら天神」と呼ばれ、安産の神として親しまれています。
安産御守として藁(わら)が授与されることから「わら天神」の通称があり、藁(わら)に節があれば男児、節がなければ女児が誕生すると言われています。
姪っ子が5ヵ月になったので、わら天神へお参りに。
元気な子供が生まれますように!
安産御守として藁(わら)が授与されることから「わら天神」の通称があり、藁(わら)に節があれば男児、節がなければ女児が誕生すると言われています。
姪っ子が5ヵ月になったので、わら天神へお参りに。
元気な子供が生まれますように!
2009年01月10日
京都最古の花街~上七軒~
舞妓さんで有名な京都の花街。
京都には、六花街といわれる花街があります。
上七軒・祇園甲部・祇園東・嶋原・先斗町・宮川町
その中の嶋原は、今では花街としての機能を果たしていないので、現在は五花街。
上七軒(かみひちけん)はその中でも、京都最古の花街。
現在も、「北野をどり」が、4月15日から25日にかけて上七軒歌舞練場で上演されます。
お茶屋さんもいろんなお店に変わりながらも、どこか昔の風情を残しています。
細い路地(ろうじ)は、昔のまんま。
この路地にあるお好み焼き屋さんは、昔、草野球の帰りに男ばかりでよく通ったお店。
過去と現在が交錯する街。
そして、夢と現実が交錯する街です。
京都には、六花街といわれる花街があります。
上七軒・祇園甲部・祇園東・嶋原・先斗町・宮川町
その中の嶋原は、今では花街としての機能を果たしていないので、現在は五花街。
上七軒(かみひちけん)はその中でも、京都最古の花街。
現在も、「北野をどり」が、4月15日から25日にかけて上七軒歌舞練場で上演されます。
お茶屋さんもいろんなお店に変わりながらも、どこか昔の風情を残しています。
細い路地(ろうじ)は、昔のまんま。
この路地にあるお好み焼き屋さんは、昔、草野球の帰りに男ばかりでよく通ったお店。
過去と現在が交錯する街。
そして、夢と現実が交錯する街です。
2009年01月10日
徳川の栄華の跡~二条城~
二条城は、1603年に初代将軍徳川家康が造営を開始し、三代家光の時代に完成したもの。
そして、十五代慶喜の大政奉還で、朝廷のものとなり、その後、離宮となりました。
築城400年を迎えた歴史ある世界遺産です。
東大手門の前には、豪華な門松が飾られていました。
東大手門の堂々とした石垣です。
二の丸御殿へ入る入り口の唐門。
このきらびやかさは、徳川時代の栄華が偲ばれます。
二の丸御殿の大広間は1897年(慶応3年)に15代将軍慶喜が大政奉還を発表した場所。
ここの廊下は、鴬張りの廊下で、、歩くとキュッキュッと音がします。
曲者の侵入に備えた手段だったといいますが、趣があって風情を感じます。
大広間の外側の縁側の床の木には、長い月日を重ねた年輪が、美しい皺を作っていました。
締め切られている北門は、威風堂々とした面構えでした。
そして、十五代慶喜の大政奉還で、朝廷のものとなり、その後、離宮となりました。
築城400年を迎えた歴史ある世界遺産です。
東大手門の前には、豪華な門松が飾られていました。
東大手門の堂々とした石垣です。
二の丸御殿へ入る入り口の唐門。
このきらびやかさは、徳川時代の栄華が偲ばれます。
二の丸御殿の大広間は1897年(慶応3年)に15代将軍慶喜が大政奉還を発表した場所。
ここの廊下は、鴬張りの廊下で、、歩くとキュッキュッと音がします。
曲者の侵入に備えた手段だったといいますが、趣があって風情を感じます。
大広間の外側の縁側の床の木には、長い月日を重ねた年輪が、美しい皺を作っていました。
締め切られている北門は、威風堂々とした面構えでした。