2009年04月03日
つわもの達の銀の跡 (青春18切符の旅パート2)No.12
龍源寺間歩は、1715年に開発され、良質の銀が掘り出されたそうです。
このトンネルは、すべて人間がノミでくり貫いていったのですから、想像を絶します。
入り口の上にはお社があり、坑員は、入坑するときに、安全を祈願して手を合わせて入ったのでしょうか。
木で出来たつっかい棒が生々しさを感じました。
坑道の高さは1.6mから2.1m。
私は、大半がかがんで歩きました。
長さは600mにも及ぶそうですが、歩けるのは、約300mです。
幻想的な世界ですが、この穴には、昔の人々の地と汗で堀抜かれたと思うと、そのすごい力に圧倒されました。
このトンネルは、すべて人間がノミでくり貫いていったのですから、想像を絶します。
入り口の上にはお社があり、坑員は、入坑するときに、安全を祈願して手を合わせて入ったのでしょうか。
木で出来たつっかい棒が生々しさを感じました。
坑道の高さは1.6mから2.1m。
私は、大半がかがんで歩きました。
長さは600mにも及ぶそうですが、歩けるのは、約300mです。
幻想的な世界ですが、この穴には、昔の人々の地と汗で堀抜かれたと思うと、そのすごい力に圧倒されました。
2009年04月03日
大森の街並み (青春18切符の旅パート2)No.11
大森町の街並みは、タイムスリップ。
のみで鉱山を掘った人がたばこを買ったのでしょうか。
郷原医院と書かれてありました。
新聞屋の看板も昭和の初期を感じさせます。
冷たい水が溝を流れていました。
何気ない街並みに、何気なく落ち着きを感じます。
龍源寺間歩入り口近くにある高橋家。
石見銀山の年寄山組頭だった高橋家のお宅だそうです。
茶室もあるそうですから、豪い方だったんでしょうね。
川側の山に大きな龍源寺間歩があります。
のみで鉱山を掘った人がたばこを買ったのでしょうか。
郷原医院と書かれてありました。
新聞屋の看板も昭和の初期を感じさせます。
冷たい水が溝を流れていました。
何気ない街並みに、何気なく落ち着きを感じます。
龍源寺間歩入り口近くにある高橋家。
石見銀山の年寄山組頭だった高橋家のお宅だそうです。
茶室もあるそうですから、豪い方だったんでしょうね。
川側の山に大きな龍源寺間歩があります。
2009年04月03日
石見銀山の桜 (青春18切符の旅パート2)No.10
1309年に発見されたと言われる石見銀山。
1943年(昭和18年)の台風で水害被害を受けるまで採掘されていたというから、すごい歴史をもつ銀山です。
石見銀山付近は、桜が満開。
旧大森裁判所の桜も満開。
裁判所の入り口のランプも時代を感じます。
裁判所の横の何気ない風景も絵になります。
旧河島家の壁に沿う桜並木。
石見銀山の桜は、銀のような輝きを感じました。
1943年(昭和18年)の台風で水害被害を受けるまで採掘されていたというから、すごい歴史をもつ銀山です。
石見銀山付近は、桜が満開。
旧大森裁判所の桜も満開。
裁判所の入り口のランプも時代を感じます。
裁判所の横の何気ない風景も絵になります。
旧河島家の壁に沿う桜並木。
石見銀山の桜は、銀のような輝きを感じました。
2009年04月03日
三江線の桜 (青春18切符の旅パート2)No.9
広島駅から芸備線に乗って三次駅へ。
三次駅から三江線に乗り換えて石見銀山を目指しました。
三次駅の沿線は、桜が満開。
石見都賀と石見松原の間のトンネル。
トンネルの向こうには、桜が満開です。
石見松原と灘の駅に間には、桜の並木が続いていました。
潮駅は桜満開。
沢谷駅を越えると、ここも満開の桜並木。
桜咲く日本の普通の風景が、三江線沿線にはありました。
三次駅から三江線に乗り換えて石見銀山を目指しました。
三次駅の沿線は、桜が満開。
石見都賀と石見松原の間のトンネル。
トンネルの向こうには、桜が満開です。
石見松原と灘の駅に間には、桜の並木が続いていました。
潮駅は桜満開。
沢谷駅を越えると、ここも満開の桜並木。
桜咲く日本の普通の風景が、三江線沿線にはありました。