2009年09月09日
500系の夢 (山陽新幹線)
新幹線の車両の中で、デザインとしても優れていたのは、「0系」と、この「500系」だと、私は思っています。
結局、この車両が、新幹線を制覇することはありませんでした。
東海道新幹線からは、風前の灯となった500系。
でも、山陽新幹線では、2両並ぶ勇姿を見ることができます。
斬新なスタイルで登場した500系も、山陽新幹線では、8両編成の「こだま」としても運行。
13時09分発の「こだま746号」が回送で入線。
そして、博多からは、「のぞみ28号」が入線。
停車位置の確認です。
確かに、居住性の悪い運転席です。
広島駅13時09分発の「こだま746号」と13時06分発の「のぞみ28号」
2両並ぶ勇姿が見れるのも、もう少しです。
「のぞみ28号」を見送って、「こだま748号」に乗車。
新大阪までの各駅停車です。
存分に500系を楽しめます。
何といっても素敵なのは、車両が独り占め!
曲線を帯びたこの窓側は、最高です。
こだまは福山で「のぞみ」の通過待ち。
ゆっくりと先頭車両の撮影会。
こんなことができるのも、「こだま」ならではの楽しみ!
新大阪駅に、16時05分の定刻に到着。
ロングノーズを反対側のホームから。
くさびの様な見事なスタイル。
夕日が射し込む頃、500系の旅も終わりです。
ご苦労様でした。
結局、この車両が、新幹線を制覇することはありませんでした。
東海道新幹線からは、風前の灯となった500系。
でも、山陽新幹線では、2両並ぶ勇姿を見ることができます。
斬新なスタイルで登場した500系も、山陽新幹線では、8両編成の「こだま」としても運行。
13時09分発の「こだま746号」が回送で入線。
そして、博多からは、「のぞみ28号」が入線。
停車位置の確認です。
確かに、居住性の悪い運転席です。
広島駅13時09分発の「こだま746号」と13時06分発の「のぞみ28号」
2両並ぶ勇姿が見れるのも、もう少しです。
「のぞみ28号」を見送って、「こだま748号」に乗車。
新大阪までの各駅停車です。
存分に500系を楽しめます。
何といっても素敵なのは、車両が独り占め!
曲線を帯びたこの窓側は、最高です。
こだまは福山で「のぞみ」の通過待ち。
ゆっくりと先頭車両の撮影会。
こんなことができるのも、「こだま」ならではの楽しみ!
新大阪駅に、16時05分の定刻に到着。
ロングノーズを反対側のホームから。
くさびの様な見事なスタイル。
夕日が射し込む頃、500系の旅も終わりです。
ご苦労様でした。
2009年09月08日
関門海峡を歩く (関門海峡人道トンネル)
関門海峡の海底にも県境がありました。
海底には、人が歩いて渡れる人道があります。
エレベーターで下りると、そこに、関門海峡の海底トンネルが・・・
海底に着くと、急に蒸し暑さを感じます。
真っ直ぐ抜けるトンネル。
海底部分が780m。
下関側に出ると、壇ノ浦の戦いの像が、迎えてくれました。
海底には、人が歩いて渡れる人道があります。
エレベーターで下りると、そこに、関門海峡の海底トンネルが・・・
海底に着くと、急に蒸し暑さを感じます。
真っ直ぐ抜けるトンネル。
海底部分が780m。
下関側に出ると、壇ノ浦の戦いの像が、迎えてくれました。
2009年09月08日
潮風を浴びて (門司港・やまぎんレトロライン)
JR門司港駅の横にある「九州鉄道記念館」から「関門海峡めかり」を結ぶやまぎんレトロライン。
門司港レトロ観光列車として、トロッコ列車が走っています。
関門海峡の潮風を浴びて、ゆっくりと進みます。
ヘッドマークも「潮風号」
途中、和布刈公園を抜けるトンネルの中では、トロッコの天井に深海のイルミネーションが浮かび上がります。
関門海峡めかり駅から、潮風号が折り返していきました。
門司港レトロ観光列車として、トロッコ列車が走っています。
関門海峡の潮風を浴びて、ゆっくりと進みます。
ヘッドマークも「潮風号」
途中、和布刈公園を抜けるトンネルの中では、トロッコの天井に深海のイルミネーションが浮かび上がります。
関門海峡めかり駅から、潮風号が折り返していきました。
2009年09月07日
走り続けた流線型 (門司港・九州鉄道記念館)
門司港駅の横にある九州鉄道記念館。
ここには、九州の宮原線(1984年に廃線)で活躍していたキハ70系といわれる可愛い気動車が停まっています。
行き先表示は、「肥後小国-豊後森」
豊後森駅は、今でも久大本線にあります。
運転席との境の壁の傷は、学生のカバンが当たったり、行商のおばさんの荷物が当たったりの年輪そのものです。
運転席もとてもシンプル。
大きなライトは、蒸気機関車のライトのよう。
丸みを帯びた形は、流線型。
とっても速そうで、当時は、子供たちにも人気者だったことでしょう。
ここには、九州の宮原線(1984年に廃線)で活躍していたキハ70系といわれる可愛い気動車が停まっています。
行き先表示は、「肥後小国-豊後森」
豊後森駅は、今でも久大本線にあります。
運転席との境の壁の傷は、学生のカバンが当たったり、行商のおばさんの荷物が当たったりの年輪そのものです。
運転席もとてもシンプル。
大きなライトは、蒸気機関車のライトのよう。
丸みを帯びた形は、流線型。
とっても速そうで、当時は、子供たちにも人気者だったことでしょう。
2009年09月07日
3つの鉄道起点 (門司港駅)
門司港の近くには、3つの鉄道の起点がありました。
九州鉄道記念館前にあるゼロ哩表示。
これは、九州鉄道が明治24年に門司駅を開業したときの起点です。
大正3年に、今の位置に移りました。
開業当時は、このような駅表示だったようです。
明治24年の開業当時は、「門司」から「玉名」まで開通しました。
そして、現在の門司港駅にある鉄道百年を記念して建てられたゼロ哩標。
そして、現在のゼロキロポストは、1番線にちゃんと建てられていました。
九州鉄道記念館前にあるゼロ哩表示。
これは、九州鉄道が明治24年に門司駅を開業したときの起点です。
大正3年に、今の位置に移りました。
開業当時は、このような駅表示だったようです。
明治24年の開業当時は、「門司」から「玉名」まで開通しました。
そして、現在の門司港駅にある鉄道百年を記念して建てられたゼロ哩標。
そして、現在のゼロキロポストは、1番線にちゃんと建てられていました。
2009年09月06日
古き昭和の香り (門司港・三宣楼)
古い街並み。
歴史的な洋館の立ち並ぶ門司港の街の中で、何となく落ち着いてしまう空間が、ここにはありました。
その街並みの先には、昭和初期の木造三階建ての格式ある料亭三宣楼。
昔は、最高級の宴会の場だったんでしょう。
この玄関を入ると、飲めや歌えの宴が聞こえてきそうです。
歴史的な洋館の立ち並ぶ門司港の街の中で、何となく落ち着いてしまう空間が、ここにはありました。
その街並みの先には、昭和初期の木造三階建ての格式ある料亭三宣楼。
昔は、最高級の宴会の場だったんでしょう。
この玄関を入ると、飲めや歌えの宴が聞こえてきそうです。
2009年09月06日
三角屋根のお屋敷 (門司港・旧門司三井倶楽部)
三角屋根が可愛らしいこの建物は、旧門司三井倶楽部。
大正10年(西暦1921年)、三井物産の社交倶楽部として門司区谷町に建築さて、平成2年に、JR門司港駅前に移築・復元されました。
入り口には、船のステンドグラスがお客様を迎え入れます。
相対性理論で有名なアインシュタイン博士夫妻が宿泊された部屋も、当時の状態のままに保存されています。
館内には他に、門司生まれの女流作家林芙美子の資料室や「レストラン三井倶楽部」などがあります。
大正10年(西暦1921年)、三井物産の社交倶楽部として門司区谷町に建築さて、平成2年に、JR門司港駅前に移築・復元されました。
入り口には、船のステンドグラスがお客様を迎え入れます。
相対性理論で有名なアインシュタイン博士夫妻が宿泊された部屋も、当時の状態のままに保存されています。
館内には他に、門司生まれの女流作家林芙美子の資料室や「レストラン三井倶楽部」などがあります。
2009年09月05日
大正ロマンの香り (門司港・旧大阪商船ビル)
門司港駅のすぐそばにある旧大阪商船のビル。
大正6年建築のこのビルは、まさしく大正ロマンの香り。
ランプひとつをとっても、時代を遡らしてくれます。
円形のガラス窓からは、素敵な光が差し込むんでしょう。
シンボルの中央部に八角形をした塔屋。
煉瓦のように見えるオレンジ色のタイルと、白い石状の帯が外観を覆っています。
当時は大陸航路の待合室として多くの旅人で賑わっていたそうです。
大正6年建築のこのビルは、まさしく大正ロマンの香り。
ランプひとつをとっても、時代を遡らしてくれます。
円形のガラス窓からは、素敵な光が差し込むんでしょう。
シンボルの中央部に八角形をした塔屋。
煉瓦のように見えるオレンジ色のタイルと、白い石状の帯が外観を覆っています。
当時は大陸航路の待合室として多くの旅人で賑わっていたそうです。
2009年09月05日
友好の架け橋 (北九州市立国際友好記念図書館)
古くから大陸との貿易の拠点だった門司港。
特に、大連市との間には、重要な国際航路がありました。
この建物は、大連市と北九州市の友好年締結15周年を記念して、1902年に大連市に建てられた歴史的建築物をモデルに建てられました。
友好の証し、そんな暖かさが感じられます。
複製建築にあたり、外壁の石や煉瓦は、大連市で加工製作。
玄関も、歴史的な印象を感じます。
まるで教会のようなこの建物は、1階は中華レストラン、2階・3階は図書館となっています。
特に、大連市との間には、重要な国際航路がありました。
この建物は、大連市と北九州市の友好年締結15周年を記念して、1902年に大連市に建てられた歴史的建築物をモデルに建てられました。
友好の証し、そんな暖かさが感じられます。
複製建築にあたり、外壁の石や煉瓦は、大連市で加工製作。
玄関も、歴史的な印象を感じます。
まるで教会のようなこの建物は、1階は中華レストラン、2階・3階は図書館となっています。
2009年09月04日
ここは何だ? (旧門司税関庁舎)
この建物は何だ?
はい、ここは、旧門司税関庁舎です。
門司港のレトロ建築の中でも、きれいなレンガ造りの建物です。
細かいところにもきれいな細工が施されています。
反対側から見る建物は、窓の織り成す素晴らしい造形美。
明治、大正、昭和を見守ってきた、貴重な建物です。
はい、ここは、旧門司税関庁舎です。
門司港のレトロ建築の中でも、きれいなレンガ造りの建物です。
細かいところにもきれいな細工が施されています。
反対側から見る建物は、窓の織り成す素晴らしい造形美。
明治、大正、昭和を見守ってきた、貴重な建物です。
2009年09月04日
朝の終着駅 (門司港駅)
朝の門司港駅。
まだ乗客もまばらです。
蒸気機関車が客車を牽引していた時のホームは、今では、すごく長いものです。
ランプがとても印象的でした。
ホームにあった水道の蛇口も、なんだかレトロ。
駅長室も当時のままです。
素顔の門司港駅は、威風堂々としていました。
まだ乗客もまばらです。
蒸気機関車が客車を牽引していた時のホームは、今では、すごく長いものです。
ランプがとても印象的でした。
ホームにあった水道の蛇口も、なんだかレトロ。
駅長室も当時のままです。
素顔の門司港駅は、威風堂々としていました。
2009年09月03日
夜の終着駅 (門司港駅)
14時間の鈍行に揺られて到着した終着駅。
門司港駅は、まさしく終着駅の雰囲気のする駅です。
小倉発の門司港行きの電車が、終着駅に到着です。
昔は、この駅から、連絡線の乗り場へ多くの人が向かったのでしょう。
夜の駅は、人影もまばらでした。
駅の外に出ると、レトロな駅舎は月の光を受けて、素晴らしく輝いていました。
門司港駅は、まさしく終着駅の雰囲気のする駅です。
小倉発の門司港行きの電車が、終着駅に到着です。
昔は、この駅から、連絡線の乗り場へ多くの人が向かったのでしょう。
夜の駅は、人影もまばらでした。
駅の外に出ると、レトロな駅舎は月の光を受けて、素晴らしく輝いていました。
2009年09月02日
蒸気機関車の香り (山口・やまぐち号)
山口線のC571号機。
今では、やまぐち号のSLとして、大活躍です。
この機関車は、羽越本線の新津機関区にいた時に撮影したことがあります。
そして、一時、北陸本線の「北びわこ号」を引いたこともありました。
集煙装置のお帽子が、ちょっと興ざめでしたが、お腹に響く元気な汽笛の音を、久しぶりに聞きました。
メカニカルに動く動輪の大きさには、圧倒です。
夕日に照らされた機関車が、茜色に染まっていました。
きょうの蒸気機関車の旅は楽しかったですか?
機関車の煙の香りが、いつまでも残っていました。
今では、やまぐち号のSLとして、大活躍です。
この機関車は、羽越本線の新津機関区にいた時に撮影したことがあります。
そして、一時、北陸本線の「北びわこ号」を引いたこともありました。
集煙装置のお帽子が、ちょっと興ざめでしたが、お腹に響く元気な汽笛の音を、久しぶりに聞きました。
メカニカルに動く動輪の大きさには、圧倒です。
夕日に照らされた機関車が、茜色に染まっていました。
きょうの蒸気機関車の旅は楽しかったですか?
機関車の煙の香りが、いつまでも残っていました。
2009年09月01日
朝の散歩は楽しいな (門司港)
朝の門司港駅は、いろんな人がぶらっと散歩にでていました。
ハトも散歩。
2匹のコーギーが、関門橋近くの海辺を散歩。
あどけない目が合いました。
きょうも楽しい一日になりますように。
ハトも散歩。
2匹のコーギーが、関門橋近くの海辺を散歩。
あどけない目が合いました。
きょうも楽しい一日になりますように。
2009年09月01日
京都市電だ! (広島・広島電鉄)
1978年9月30日に京都の街から姿を消した京都市電。
あれから、もう31年が経つのですね。
その勇姿は、今でもその当時の姿のままで、広島の街を走っています。
その名も、「清水(きよみず)」と名づけられて・・・。
マスコン(マスター・コントローラー)のハンドルは、あれから31年の使用で、より美しい輝きを放っていました。
まるで、京都の街にいるかのようです。
今では、広島の人たちの大切な足になっているのが、とてもうれしかったです。
きょうも、当たり前のように、広島の街の中を元気に走りぬける姿がありました。
あのマスコンを握り締める運転手さん。
大切にしてください。
あれから、もう31年が経つのですね。
その勇姿は、今でもその当時の姿のままで、広島の街を走っています。
その名も、「清水(きよみず)」と名づけられて・・・。
マスコン(マスター・コントローラー)のハンドルは、あれから31年の使用で、より美しい輝きを放っていました。
まるで、京都の街にいるかのようです。
今では、広島の人たちの大切な足になっているのが、とてもうれしかったです。
きょうも、当たり前のように、広島の街の中を元気に走りぬける姿がありました。
あのマスコンを握り締める運転手さん。
大切にしてください。