2009年10月19日
格子の向こうに江戸の文化 (角屋)
角屋は、揚屋建築の唯一の遺構で、1641年に建てられた貴重なもの。
江戸時代、京都において民間最大規模の饗宴の場でした。
角屋は遊廓の店ではなく、今の料亭にあたる揚屋(あげや)という業種の店で、太夫や芸妓を抱えず、置屋から派遣してもらって、お客様に歌舞音曲の遊宴を楽しんだところです。
入り口は、赤壁。
赤壁は高級壁で、揚屋がそうした高級壁を用いることによって、並みの建物でないことを示したのだそうです。
角屋の外観の格子は、近世初期の京都町屋に広く使用されていた格子のすがたを伝えています。
ですから、江戸吉原の花魁(おいらん)を見せるための牢屋のような格子(籬 まがき)では決してありません。
格子の向こうは、当時の最先端の社交場でした。
今は、「角屋もてなしの文化美術館」として、貴重な建物の内部と貴重な芸術品が見れます。
きょうは、もう日が沈むので、こんどまたお邪魔します。
三味線の音が聞こえてきそうでした。
江戸時代、京都において民間最大規模の饗宴の場でした。
角屋は遊廓の店ではなく、今の料亭にあたる揚屋(あげや)という業種の店で、太夫や芸妓を抱えず、置屋から派遣してもらって、お客様に歌舞音曲の遊宴を楽しんだところです。
入り口は、赤壁。
赤壁は高級壁で、揚屋がそうした高級壁を用いることによって、並みの建物でないことを示したのだそうです。
角屋の外観の格子は、近世初期の京都町屋に広く使用されていた格子のすがたを伝えています。
ですから、江戸吉原の花魁(おいらん)を見せるための牢屋のような格子(籬 まがき)では決してありません。
格子の向こうは、当時の最先端の社交場でした。
今は、「角屋もてなしの文化美術館」として、貴重な建物の内部と貴重な芸術品が見れます。
きょうは、もう日が沈むので、こんどまたお邪魔します。
三味線の音が聞こえてきそうでした。