2009年10月31日
音楽と智恵を与えたまえ (慈済院・来福門)
天龍寺の塔頭のひとつの慈済院(来福門)。
天龍寺七福神の一つ弁財天をまつるお堂があります。
弁財天は、音楽・智恵・財物の神として吉祥天とともに広く信仰されている女神です。
とっても素敵なお堂があるのですが、多くの人は通り過ぎて行きます。
透き通った紅葉が輝いていました。
元治元年(1864)の天龍寺大火をまぬがれたため、室町時代の建築が残っているそうです。
お堂の中に座っていた猫の木造。
とっても愛嬌がありました。
弁財天のお供なのでしょうか。
白壁の竜宮城のような来福門が目を引きます。
天龍寺七福神の一つ弁財天をまつるお堂があります。
弁財天は、音楽・智恵・財物の神として吉祥天とともに広く信仰されている女神です。
とっても素敵なお堂があるのですが、多くの人は通り過ぎて行きます。
透き通った紅葉が輝いていました。
元治元年(1864)の天龍寺大火をまぬがれたため、室町時代の建築が残っているそうです。
お堂の中に座っていた猫の木造。
とっても愛嬌がありました。
弁財天のお供なのでしょうか。
白壁の竜宮城のような来福門が目を引きます。
2009年10月31日
素敵な土壁のあるお寺 (慈済院)
天龍寺の塔頭のひとつの慈済院。
この門の土壁は、瓦を使った素敵な壁です。
お日様が当たると、黄金に輝きます。
庭の木々も色づき始めました。
この壁は、東山魁夷も題材にしました。
http://superman007.cocolog-nifty.com/norichan/2008/11/1964-66-e8d2.html
菊の瓦がおしゃれです。
この門の土壁は、瓦を使った素敵な壁です。
お日様が当たると、黄金に輝きます。
庭の木々も色づき始めました。
この壁は、東山魁夷も題材にしました。
http://superman007.cocolog-nifty.com/norichan/2008/11/1964-66-e8d2.html
菊の瓦がおしゃれです。
2009年10月30日
嵐山の借景庭園 (弘源寺)
天龍寺の塔頭のひとつの弘源寺。
室町時代に創建されたお寺で、創建時は、小倉山の麓のニ尊院、南は亀山に至る広い敷地だったそうです。
ここの毘沙門堂の正面扁額は弘法大師の直筆だそうです。
本堂は寛永年代の造営。
本堂前の枯山水庭園「虎嘯(こしょう)の庭」
「虎嘯」は大地より涌出る朗々たる響きを表す、すなわち禅の悟りの境涯を表しているそうです。
嵐山を借景にしたスケールのある庭園です。
本堂に残る刀傷は、幕末の「禁門の変(蛤御門の変)」の時、天龍寺に陣を構えた長州藩の軍勢が、試し切りをしたものだそうです。
弘源寺は、秋の特別拝観中で、12月6日までです。
室町時代に創建されたお寺で、創建時は、小倉山の麓のニ尊院、南は亀山に至る広い敷地だったそうです。
ここの毘沙門堂の正面扁額は弘法大師の直筆だそうです。
本堂は寛永年代の造営。
本堂前の枯山水庭園「虎嘯(こしょう)の庭」
「虎嘯」は大地より涌出る朗々たる響きを表す、すなわち禅の悟りの境涯を表しているそうです。
嵐山を借景にしたスケールのある庭園です。
本堂に残る刀傷は、幕末の「禁門の変(蛤御門の変)」の時、天龍寺に陣を構えた長州藩の軍勢が、試し切りをしたものだそうです。
弘源寺は、秋の特別拝観中で、12月6日までです。
2009年10月29日
2009年10月28日
ヴォーリズの住む街 (滋賀・近江八幡)
45年の歳月を経てもヴォーリズが生き続ける街・近江八幡。
11月3日まで、この街全体で、普段は入ることが出来ない建物の中を見学することができます。
近江兄弟社学園にある教育会館。
その庭には、ヴォーリズが署名のあとにいつも書いていたマークの石碑が建っていました。
このマークは、ヴォーリズがこの地がイエスキリストを愛することにおいて世界の中心であるようにとの祈りを込めて、署名のあとに必ず書き添えたマーク。
「ヴォーリズ展 in 近江八幡」
http://vories.jp/
ハイド記念館の旧清友園幼稚園の中も見学。
幼稚園児の高さに合わせた手洗い場やロッカーに優しさを感じました。
ヴォーリズの私邸だったヴォーリズ記念館の中には、彼の愛した和室もありました。
外観だけの見学の吉田邸は、もう秋の気配でした。
11月3日まで、この街全体で、普段は入ることが出来ない建物の中を見学することができます。
近江兄弟社学園にある教育会館。
その庭には、ヴォーリズが署名のあとにいつも書いていたマークの石碑が建っていました。
このマークは、ヴォーリズがこの地がイエスキリストを愛することにおいて世界の中心であるようにとの祈りを込めて、署名のあとに必ず書き添えたマーク。
「ヴォーリズ展 in 近江八幡」
http://vories.jp/
ハイド記念館の旧清友園幼稚園の中も見学。
幼稚園児の高さに合わせた手洗い場やロッカーに優しさを感じました。
ヴォーリズの私邸だったヴォーリズ記念館の中には、彼の愛した和室もありました。
外観だけの見学の吉田邸は、もう秋の気配でした。
2009年10月27日
マンガの世界の出入り口 (KYOTO手塚治虫ワールド)
京都駅ビルの劇場ゾーンにある「KYOTO手塚治虫ワールド」
ここには、アニメシアターとスタジオショップがあります。
「KYOTO手塚治虫ワールド」では、等身大のフィギュアがお出迎え。
私に似ているブラック・ジャック?!
あんなにクールになれたら・・・なんて思うこともあります。
とっても素敵なリボンの騎士!
あんな素敵な騎士に出会いたいと思うことはしょっちゅうです!
やはり、10万馬力の「鉄腕アトム」ですね!
現実の世界は、もうアニメの世界を越えているのかもしれません。
ここには、アニメシアターとスタジオショップがあります。
「KYOTO手塚治虫ワールド」では、等身大のフィギュアがお出迎え。
私に似ているブラック・ジャック?!
あんなにクールになれたら・・・なんて思うこともあります。
とっても素敵なリボンの騎士!
あんな素敵な騎士に出会いたいと思うことはしょっちゅうです!
やはり、10万馬力の「鉄腕アトム」ですね!
現実の世界は、もうアニメの世界を越えているのかもしれません。
2009年10月26日
日本人の美意識と自然観 (京都文化博物館)
京都文化博物館で開催されている「日本画展」
ワコールホールディングス(同60周年)と京セラ(創立50周年)の創業を記念し、両社が所蔵する東山魁夷、平山郁夫ら戦後日本画壇を代表する45人の巨匠作品を展示。
これは、1985年-86年に欧米5カ国で巡回した「現代日本画」展の再現です。
私の大好きな東山魁夷の作品「山霧幽玄」も間近で鑑賞できます。
http://www.bunpaku.or.jp/exhi_artCraft.html
その会場となっているのが、京都文化博物館。
その別館になるのが、旧日本銀行京都支店の建物。
シンメトリックな美しさ。
でも、左右対称の中に、少し違いを感じることに、より美しさを感じてしまう。
人体も左右対称のようでそうでないところに美しさがあるように感じます。
そこが機械的ではない人間臭さの美しさなのでしょうか・・・
建物の中の電球に、心臓の鼓動を感じました。
ワコールホールディングス(同60周年)と京セラ(創立50周年)の創業を記念し、両社が所蔵する東山魁夷、平山郁夫ら戦後日本画壇を代表する45人の巨匠作品を展示。
これは、1985年-86年に欧米5カ国で巡回した「現代日本画」展の再現です。
私の大好きな東山魁夷の作品「山霧幽玄」も間近で鑑賞できます。
http://www.bunpaku.or.jp/exhi_artCraft.html
その会場となっているのが、京都文化博物館。
その別館になるのが、旧日本銀行京都支店の建物。
シンメトリックな美しさ。
でも、左右対称の中に、少し違いを感じることに、より美しさを感じてしまう。
人体も左右対称のようでそうでないところに美しさがあるように感じます。
そこが機械的ではない人間臭さの美しさなのでしょうか・・・
建物の中の電球に、心臓の鼓動を感じました。
2009年10月25日
ピンクのソバの花 (滋賀・今津)
琵琶湖の奥のほうに位置する滋賀県高島市今津。
ここに、ピンクのソバの花が咲いています。
ソバの花は「白」が普通なのですが、このソバは、「高嶺ルビー」という品種だそうです。
10アールほどの広さに、ピンクの花が咲いています。
収穫されたソバは、どんな味がするのでしょう。
たぶん、おいしい蕎麦でしょう。
ここに、ピンクのソバの花が咲いています。
ソバの花は「白」が普通なのですが、このソバは、「高嶺ルビー」という品種だそうです。
10アールほどの広さに、ピンクの花が咲いています。
収穫されたソバは、どんな味がするのでしょう。
たぶん、おいしい蕎麦でしょう。
2009年10月24日
こころ和む癒しの空間 (八瀬大原・瑠璃光院)
叡山電鉄、八瀬比叡山口駅から高野川の清流に沿って歩くと、素敵な山門が見えます。
瑠璃光院。
期日限定の特別公開です。
その書院から見る景色は、絶景です。
まだ紅葉には早かったのですが、紅葉のときは、もっと華やかで鮮やかな色になるんでしょう。
書院の二階からの景色。
紅葉の時期に、ここからの景色が全て真っ赤に染まります。
そして、同じ場所の一階からの景色。
趣きが違います。
また、二階から庭園方向を見ると、額縁の中の絵のようです。
そして、同じ場所の一階からの庭園は、有名な瑠璃の庭が望めます。
苔の間をぬって一条のせせらぎが優美な曲線を描いて流れています。
この庭は、ある気象条件が揃うと、深々とした苔が一瞬瑠璃の光を放つそうで、そこから瑠璃の庭園と言われています。
天にかけのぼる龍を水と石で表した臥龍の庭も、癒しの空間です。
11月の中旬が紅葉の見頃とか。
ぜひ今年の紅葉の頃に、もう一度訪れたいと思います。
こころの癒しを求めて・・・
瑠璃光院。
期日限定の特別公開です。
その書院から見る景色は、絶景です。
まだ紅葉には早かったのですが、紅葉のときは、もっと華やかで鮮やかな色になるんでしょう。
書院の二階からの景色。
紅葉の時期に、ここからの景色が全て真っ赤に染まります。
そして、同じ場所の一階からの景色。
趣きが違います。
また、二階から庭園方向を見ると、額縁の中の絵のようです。
そして、同じ場所の一階からの庭園は、有名な瑠璃の庭が望めます。
苔の間をぬって一条のせせらぎが優美な曲線を描いて流れています。
この庭は、ある気象条件が揃うと、深々とした苔が一瞬瑠璃の光を放つそうで、そこから瑠璃の庭園と言われています。
天にかけのぼる龍を水と石で表した臥龍の庭も、癒しの空間です。
11月の中旬が紅葉の見頃とか。
ぜひ今年の紅葉の頃に、もう一度訪れたいと思います。
こころの癒しを求めて・・・
2009年10月23日
都会のオアシス (日比谷公園)
久しぶりの日比谷公園。
お昼時は、お弁当片手のサラリーマンや、食後の散歩をする人で、いっぱいです。
都心は皇居といい日比谷公園といい、緑の多さに驚きます。
そういえば、高校時代は、日比谷図書館で勉強したっけ。
そして、アベックがいっぱいベンチに座っているのを羨ましそうに見てたっけ。
そんなことを思いながらベンチに座っていたら、しばし夢の中に入っていました。
お昼時は、お弁当片手のサラリーマンや、食後の散歩をする人で、いっぱいです。
都心は皇居といい日比谷公園といい、緑の多さに驚きます。
そういえば、高校時代は、日比谷図書館で勉強したっけ。
そして、アベックがいっぱいベンチに座っているのを羨ましそうに見てたっけ。
そんなことを思いながらベンチに座っていたら、しばし夢の中に入っていました。
2009年10月23日
東京の台所 (築地市場)
東京でのお仕事のために、朝の新幹線でご出勤。
早めに東京に着いたので、築地市場を散策しました。
ちょうど、かつおのお頭を処理していました。
カマ焼きはさぞかしおいしいことでしょう。
お昼になると、一日の仕事を終えています。
きれいに洗われた通路に、ライトが光っていました。
後片付けも終わり、静まり返った場内。
年期の入った台車が、一仕事を終えて休憩です。
この上に乗せられて、魚たちが運ばれるのでしょう。
活気溢れる市場を一度見てみたいですね。
築地へ行くといつも行くお店で、きょうは中とろ丼でした。
早めに東京に着いたので、築地市場を散策しました。
ちょうど、かつおのお頭を処理していました。
カマ焼きはさぞかしおいしいことでしょう。
お昼になると、一日の仕事を終えています。
きれいに洗われた通路に、ライトが光っていました。
後片付けも終わり、静まり返った場内。
年期の入った台車が、一仕事を終えて休憩です。
この上に乗せられて、魚たちが運ばれるのでしょう。
活気溢れる市場を一度見てみたいですね。
築地へ行くといつも行くお店で、きょうは中とろ丼でした。
2009年10月19日
格子の向こうに江戸の文化 (角屋)
角屋は、揚屋建築の唯一の遺構で、1641年に建てられた貴重なもの。
江戸時代、京都において民間最大規模の饗宴の場でした。
角屋は遊廓の店ではなく、今の料亭にあたる揚屋(あげや)という業種の店で、太夫や芸妓を抱えず、置屋から派遣してもらって、お客様に歌舞音曲の遊宴を楽しんだところです。
入り口は、赤壁。
赤壁は高級壁で、揚屋がそうした高級壁を用いることによって、並みの建物でないことを示したのだそうです。
角屋の外観の格子は、近世初期の京都町屋に広く使用されていた格子のすがたを伝えています。
ですから、江戸吉原の花魁(おいらん)を見せるための牢屋のような格子(籬 まがき)では決してありません。
格子の向こうは、当時の最先端の社交場でした。
今は、「角屋もてなしの文化美術館」として、貴重な建物の内部と貴重な芸術品が見れます。
きょうは、もう日が沈むので、こんどまたお邪魔します。
三味線の音が聞こえてきそうでした。
江戸時代、京都において民間最大規模の饗宴の場でした。
角屋は遊廓の店ではなく、今の料亭にあたる揚屋(あげや)という業種の店で、太夫や芸妓を抱えず、置屋から派遣してもらって、お客様に歌舞音曲の遊宴を楽しんだところです。
入り口は、赤壁。
赤壁は高級壁で、揚屋がそうした高級壁を用いることによって、並みの建物でないことを示したのだそうです。
角屋の外観の格子は、近世初期の京都町屋に広く使用されていた格子のすがたを伝えています。
ですから、江戸吉原の花魁(おいらん)を見せるための牢屋のような格子(籬 まがき)では決してありません。
格子の向こうは、当時の最先端の社交場でした。
今は、「角屋もてなしの文化美術館」として、貴重な建物の内部と貴重な芸術品が見れます。
きょうは、もう日が沈むので、こんどまたお邪魔します。
三味線の音が聞こえてきそうでした。
2009年10月18日
秋の気配の国際会議場 (京都国際会議場)
京都の北にある京都国際会館。
京都議定書が採択された場所です。
きょうは、ここで、厳重な警備の中、講演会がありました。
幾何学的な空間は、かえって会議や講演には向いていると思いました。
京都の北に来ると、気温がぐっと下がります。
もう辺りは、秋の景色に色付き始めていました。
京都議定書が採択された場所です。
きょうは、ここで、厳重な警備の中、講演会がありました。
幾何学的な空間は、かえって会議や講演には向いていると思いました。
京都の北に来ると、気温がぐっと下がります。
もう辺りは、秋の景色に色付き始めていました。
2009年10月17日
復興した新長田駅 (JR新長田)
阪神淡路大震災で、壊滅的な被害のあった新長田駅も、いまはすっかり新しい街に変わっています。
そして、復興を願って、鉄人28号がこの駅を守ることになりました。
鉄人28号の側を、普通電車が通過します。
1996年に新築された新長田駅舎。
きょうは、駅前でイベントをしていました。
この黒大豆枝豆は、おみやげに買いました。
美味しかったです。
新長田の駅には、震災の復興を願って送られたイラストがタイルになって飾られていました。
新長田の駅に快速が入線です。
そして、復興を願って、鉄人28号がこの駅を守ることになりました。
鉄人28号の側を、普通電車が通過します。
1996年に新築された新長田駅舎。
きょうは、駅前でイベントをしていました。
この黒大豆枝豆は、おみやげに買いました。
美味しかったです。
新長田の駅には、震災の復興を願って送られたイラストがタイルになって飾られていました。
新長田の駅に快速が入線です。
2009年10月17日
ガォー! 鉄人28号 (新長田)
ガォー!
鉄人28号が、太陽に向かって、こぶしを振り上げています。
鉄人28号のするどい眼差し!
正義か、友愛か・・・
コントローラーが敵に渡ると、悪者になってしまう鉄人28号。
マンションを壊してはいけません!
ビルの谷間にガォー!
街の中に入ってきそうです。
新長田の街の街灯は、鉄人28号の顔。
鉄人がこちらに向かってくるようです。
こうみると、やはりなかなか大きい鉄人28号でした。
新長田駅付近は、鉄人28号で、ちょっとした賑わいを見せていました。
マンガの世界が現実に・・・
これから鉄人28号が立ち向かっていく「敵」は、いったい何なのでしょうか・・・
正義の味方をコントロールするのは、いまも「人間 」正太郎です。
鉄人28号が、太陽に向かって、こぶしを振り上げています。
鉄人28号のするどい眼差し!
正義か、友愛か・・・
コントローラーが敵に渡ると、悪者になってしまう鉄人28号。
マンションを壊してはいけません!
ビルの谷間にガォー!
街の中に入ってきそうです。
新長田の街の街灯は、鉄人28号の顔。
鉄人がこちらに向かってくるようです。
こうみると、やはりなかなか大きい鉄人28号でした。
新長田駅付近は、鉄人28号で、ちょっとした賑わいを見せていました。
マンガの世界が現実に・・・
これから鉄人28号が立ち向かっていく「敵」は、いったい何なのでしょうか・・・
正義の味方をコントロールするのは、いまも「人間 」正太郎です。
2009年10月16日
休息の時間 (梅小路蒸気機関車館)
梅小路蒸気機関車館の扇形車庫の中。
夕日の射し込む中、C56が休んでいます。
ちょうど今日のSLスチーム号を引いたC61が戻ってきました。
SL北びわこ号を引くC56に後光が射しているようです。
C61は、やはり堂々としています。
きょうの任務を終えて、しばしの休息の時間です。
夕日の射し込む中、C56が休んでいます。
ちょうど今日のSLスチーム号を引いたC61が戻ってきました。
SL北びわこ号を引くC56に後光が射しているようです。
C61は、やはり堂々としています。
きょうの任務を終えて、しばしの休息の時間です。
2009年10月13日
汽笛の向こうに昔の思い出 (旧二条駅)
梅小路蒸気機関車館の入り口は、旧二条駅の駅舎です。
昔の市電も走っていて、まるでタイムスリップしたようです。
入母屋造りの駅舎は、明治37年(1904年)に建てられたもの。
平成8年まで、山陰本線の二条駅の顔でした。
この堂々たる入り口。
入り口のベンチで、子供がのんびり。
昔の私の姿を見るようです。
駅舎の中は天井も高く、開放的。
ガラス窓越しに、次の列車が入ってくるのが見えました。
改札を抜けると、ホームです。
ホームのベンチで、列車待ち。
汽笛が聞こえたので、そろそろ京都方面から下りの列車がホームに入線です。
そんな昔を思い出しました。
思い出は、いつまでも心の中に残っています。
思い出は大切に・・・
昔の市電も走っていて、まるでタイムスリップしたようです。
入母屋造りの駅舎は、明治37年(1904年)に建てられたもの。
平成8年まで、山陰本線の二条駅の顔でした。
この堂々たる入り口。
入り口のベンチで、子供がのんびり。
昔の私の姿を見るようです。
駅舎の中は天井も高く、開放的。
ガラス窓越しに、次の列車が入ってくるのが見えました。
改札を抜けると、ホームです。
ホームのベンチで、列車待ち。
汽笛が聞こえたので、そろそろ京都方面から下りの列車がホームに入線です。
そんな昔を思い出しました。
思い出は、いつまでも心の中に残っています。
思い出は大切に・・・
2009年10月12日
きょうのヒーロー (梅小路蒸気機関車館)
梅小路蒸気機関車館の蒸気機関車は、8両が動く状態の動態保存。
その機関車が、毎日、小さなトロッコを引いて、館内から梅小路公園の大宮通り付近まで走ります。
きょうのヒーローは、C61の2号機です。
給水塔と手動信号が、昔をしのばせてくれます。
きょうの最終走行が終わりました。
燃やした石炭のかすを捨てて、新しい石炭と水の補給です。
短い走行でも、線路の上を走れるだけでも幸せです。
車庫へ戻るために、転車台の上で方向転換。
まさに、ヒーローの桧舞台でした。
その機関車が、毎日、小さなトロッコを引いて、館内から梅小路公園の大宮通り付近まで走ります。
きょうのヒーローは、C61の2号機です。
給水塔と手動信号が、昔をしのばせてくれます。
きょうの最終走行が終わりました。
燃やした石炭のかすを捨てて、新しい石炭と水の補給です。
短い走行でも、線路の上を走れるだけでも幸せです。
車庫へ戻るために、転車台の上で方向転換。
まさに、ヒーローの桧舞台でした。
2009年10月12日
汽笛の聞こえる憩いの場 (梅小路公園)
京都駅から歩いて10分ほどのところにある梅小路公園。
昔、梅小路操車場のあった場所が、今は公園になっています。
梅小路蒸気機関車館がそばにあるので、公園の横をSLスチーム号が通ります。
親子連れには、絶好の場所。
無料で、蒸気機関車が目の前で見れるのは最高です。
線路沿いにはベンチもあり、目の前には、山陰本線、東海道本線、そして新幹線も目の前です。
500系も通過します。
線路の反対側には、公園の小川が流れています。
午後のひと時を、皆さん、ゆっくりされています。
小川の向こうには、芝生の公園が広がります。
公園では、学生が踊りの練習。
それを、外国の人が眺めていました。
公園の上に、虹が架かっていました。
そんな、のんびりとした午後のひと時でした。
昔、梅小路操車場のあった場所が、今は公園になっています。
梅小路蒸気機関車館がそばにあるので、公園の横をSLスチーム号が通ります。
親子連れには、絶好の場所。
無料で、蒸気機関車が目の前で見れるのは最高です。
線路沿いにはベンチもあり、目の前には、山陰本線、東海道本線、そして新幹線も目の前です。
500系も通過します。
線路の反対側には、公園の小川が流れています。
午後のひと時を、皆さん、ゆっくりされています。
小川の向こうには、芝生の公園が広がります。
公園では、学生が踊りの練習。
それを、外国の人が眺めていました。
公園の上に、虹が架かっていました。
そんな、のんびりとした午後のひと時でした。
2009年10月11日
マンガの世界は素晴らしい小学校の中 (マンガミュージアム)
京都にあるマンガミュージアム。
ここは、平成7年に廃校になった旧・龍池小学校の校舎を改築して利用されています。
その旧・龍池小学校は、1869年(明治2年)に創設された歴史のある小学校です。
正面玄関の右側にある階段のフロアは、どこかの宮殿に紛れ込んだよう。
この正面玄関は、こどもたちは通れなかったそうです。
そして、この玄関を入ると校長室。
ここもこどもは入れなかったそうです。
入りたくもない部屋だったかもしれませんが・・・
同じく入りたくなかった職員室は、今は、「こども図書館」になっています。
教室へ続く階段。
階段はきれいな細かいタイル張りで、端は滑らないように、木で出来ています。
右側通行だったのでしょうか・・・
教室の続く廊下。
廊下の壁には、本棚が並び、すべてマンガです。
子供たちが走り回っていた廊下は、今はマンガを読む人で静かでした。
教室の窓は、空気の通りを良くするような造り。
マンガばかりが並んだ本棚は、壮観でした。
マンガの世界は素晴らしい小学校の中。
やはりここは、こどもが似合っていました。
ここは、平成7年に廃校になった旧・龍池小学校の校舎を改築して利用されています。
その旧・龍池小学校は、1869年(明治2年)に創設された歴史のある小学校です。
正面玄関の右側にある階段のフロアは、どこかの宮殿に紛れ込んだよう。
この正面玄関は、こどもたちは通れなかったそうです。
そして、この玄関を入ると校長室。
ここもこどもは入れなかったそうです。
入りたくもない部屋だったかもしれませんが・・・
同じく入りたくなかった職員室は、今は、「こども図書館」になっています。
教室へ続く階段。
階段はきれいな細かいタイル張りで、端は滑らないように、木で出来ています。
右側通行だったのでしょうか・・・
教室の続く廊下。
廊下の壁には、本棚が並び、すべてマンガです。
子供たちが走り回っていた廊下は、今はマンガを読む人で静かでした。
教室の窓は、空気の通りを良くするような造り。
マンガばかりが並んだ本棚は、壮観でした。
マンガの世界は素晴らしい小学校の中。
やはりここは、こどもが似合っていました。