2010年08月28日
菅原道真の産湯 (菅原院天満宮神社)
学問の神様として知られる菅原道真が浸かった産湯を取った井戸。
それが、菅原院天満宮神社の中にあります。
菅原道真は、幼名を阿呼と呼ばれ、五歳の時、菅原院の庭に咲き誇る梅の花を眺めて・・・
「美しや 紅の色なる 梅の花 阿呼が顔にも つけたくぞある」
と、詠まれたそうです。
道真公が生まれ育った場所の一つといわれるこの場所の隣が平安女学院。
やはり、学問の神様なのですね。
それが、菅原院天満宮神社の中にあります。
菅原道真は、幼名を阿呼と呼ばれ、五歳の時、菅原院の庭に咲き誇る梅の花を眺めて・・・
「美しや 紅の色なる 梅の花 阿呼が顔にも つけたくぞある」
と、詠まれたそうです。
道真公が生まれ育った場所の一つといわれるこの場所の隣が平安女学院。
やはり、学問の神様なのですね。
2010年08月28日
御所の横の素敵なチャペル (聖アグネス教会・平安女学院)
京都御苑の下立売御門の横にある聖アグネス教会。
そこは、有栖川旧邸の隣でもあります。
この聖アグネス教会聖堂は、大阪の照暗女学校が明治28年(1895年)に京都へ移り平安女学院と改称されたとき、その礼拝堂として、アメリカ人のガーディナーの設計で、明治31年に建てられたもの。
古いものと新しいものを融合できる力が、そのころから京都の町にはあったのでしょう。
同じ京都御苑のそばにある同志社大学の礼拝堂は明治19年(1986年)にできているので、京都御苑の周りには、2つもりっぱな礼拝堂があったのです。
それは、まさに、京都の懐の深さなのかもしれません。
そこは、有栖川旧邸の隣でもあります。
この聖アグネス教会聖堂は、大阪の照暗女学校が明治28年(1895年)に京都へ移り平安女学院と改称されたとき、その礼拝堂として、アメリカ人のガーディナーの設計で、明治31年に建てられたもの。
古いものと新しいものを融合できる力が、そのころから京都の町にはあったのでしょう。
同じ京都御苑のそばにある同志社大学の礼拝堂は明治19年(1986年)にできているので、京都御苑の周りには、2つもりっぱな礼拝堂があったのです。
それは、まさに、京都の懐の深さなのかもしれません。