2008年10月16日
嵯峨野の初秋(落柿舎)
嵯峨野めぐりは、天龍寺から二尊院を経て、あだし野念仏寺まで散策する人たちが多いです。
人力車ものんびりと走っています。
ちょうどその中間点辺りに位置するのが、二尊院近くにある落柿舎です。
ここは、松尾芭蕉の弟子の向井去来の過ごした庵です。
この庵からは、小倉山が望められ、玄関前はたんぼ。
庭には柿の木や季節の草花。
そして、裏には竹やぶが茂っています。
まさしく、周りは四季をからだ全体で感じることができる空間です。
俳句にはかかせない季語。
自然と出て来る空間です。
落ち着いた藁葺きの屋根の庵の中で、去来は多くの俳句を残しています。
そして、この庵の中で、何度か松尾芭蕉とともに俳句を詠んだそうです。
庭はとてもきれいに手入れがされており、別の庵の縁側には採りたてのもみじとサツマイモが置かれていました。
そして、白源氏の真っ白な実が、緑と赤いもみじの中で、すごく新鮮に感じました。
「去来」
去る人、来る人。
死と生。
去来は、近くの竹林で眠ってます。
嵯峨野のすすきは、紅葉シーズンの雑踏の前触れを感じているようでした。
人力車ものんびりと走っています。
ちょうどその中間点辺りに位置するのが、二尊院近くにある落柿舎です。
ここは、松尾芭蕉の弟子の向井去来の過ごした庵です。
この庵からは、小倉山が望められ、玄関前はたんぼ。
庭には柿の木や季節の草花。
そして、裏には竹やぶが茂っています。
まさしく、周りは四季をからだ全体で感じることができる空間です。
俳句にはかかせない季語。
自然と出て来る空間です。
落ち着いた藁葺きの屋根の庵の中で、去来は多くの俳句を残しています。
そして、この庵の中で、何度か松尾芭蕉とともに俳句を詠んだそうです。
庭はとてもきれいに手入れがされており、別の庵の縁側には採りたてのもみじとサツマイモが置かれていました。
そして、白源氏の真っ白な実が、緑と赤いもみじの中で、すごく新鮮に感じました。
「去来」
去る人、来る人。
死と生。
去来は、近くの竹林で眠ってます。
嵯峨野のすすきは、紅葉シーズンの雑踏の前触れを感じているようでした。
Posted by Norichan at 21:30│Comments(4)
│京の旅
この記事へのコメント
こちらには、もう15年くらい前に行ったことがあります。
当時と全く変わっていないことに驚きました。
あと、さつまいもではなくて「あけび」だと思います(^○^)。
Posted by みり at 2008年10月16日 23:39
確かにパカっと口を開けている感じは、あけびのようにも思えます。
さつまいもを蒸して置いてあるのかと思ったのは、昼ご飯を食べていなかったから、おいしそうに見えたのでしょうね!
Posted by Norichan at 2008年10月16日 23:47
いいねぇ。ワビ・サビの世界だねぇ。冷たい空気が、ピィンと張っていながら、どこかでホッとしている。この世界にちょっぴり身を置かせてもらいたいなぁ。ウイスキーを飲みながら…
Posted by ランパパ at 2008年10月17日 06:50
暖かい日差しを浴びて縁側に座っていると、ちょっと一杯飲みたくなりますね。
ウイスキーのロックが溶けて「カラン!」と鳴る音が周りに響くような感じがしました。
粋ですね!
Posted by Norichan at 2008年10月17日 07:10