2012年06月23日
祇王に出逢った! (妓王寺・滋賀県野洲)
きょう、祇王に出逢いました!
美しい白拍子の祇王と妹の祇女が生まれたのが、京都の隣の滋賀県の野洲。
村人が祇王を偲んで建立されたのが、「妓王寺」です。
現在のお堂は江戸時代、17世紀に再建されたもの。
ご本尊は阿弥陀如来坐像で、左に祇王・祇女の木像が、右には母刀自と仏御前の木像が安置されています。
祇王が、平清盛に”何か欲しいものがあるか?”と尋ねられたときに、作ってもらったという祇王井川。
故郷の村の水の便が悪く、毎年飢餓に苦しんでいたことから、野洲川の水を溝を掘って通してもらったそうです。
そんな故郷思いの祇王の願いで作られた祇王井川は、今も町の裏手にも流れています。
壇ノ浦の戦いで破れて滅亡した平家。
しかし、その時、平宗盛は、鎌倉へ下り源頼朝と対面した後、源義経に連れられて京に上ります。
その途中、野洲の大篠原で首を落とされ、首は京へ、そして、胴はこの地に葬られたそうです。
それがこの宗盛胴塚。
平家の盛衰を見届けた地が、ここ滋賀県野洲の地だったのです。
美しい白拍子の祇王と妹の祇女が生まれたのが、京都の隣の滋賀県の野洲。
村人が祇王を偲んで建立されたのが、「妓王寺」です。
現在のお堂は江戸時代、17世紀に再建されたもの。
ご本尊は阿弥陀如来坐像で、左に祇王・祇女の木像が、右には母刀自と仏御前の木像が安置されています。
祇王が、平清盛に”何か欲しいものがあるか?”と尋ねられたときに、作ってもらったという祇王井川。
故郷の村の水の便が悪く、毎年飢餓に苦しんでいたことから、野洲川の水を溝を掘って通してもらったそうです。
そんな故郷思いの祇王の願いで作られた祇王井川は、今も町の裏手にも流れています。
壇ノ浦の戦いで破れて滅亡した平家。
しかし、その時、平宗盛は、鎌倉へ下り源頼朝と対面した後、源義経に連れられて京に上ります。
その途中、野洲の大篠原で首を落とされ、首は京へ、そして、胴はこの地に葬られたそうです。
それがこの宗盛胴塚。
平家の盛衰を見届けた地が、ここ滋賀県野洲の地だったのです。
Posted by Norichan at 13:00│Comments(2)
│旅
この記事へのコメント
平清盛は毎週みています。
私的には面白いというか
歴史の勉強になるというか・・・
でも視聴率は良くないらしいですね。(>_<)
私的には面白いというか
歴史の勉強になるというか・・・
でも視聴率は良くないらしいですね。(>_<)
Posted by ぱるちゃん at 2012年06月26日 16:04
ぱるちゃんへ♪
大河ドラマも半分が終わりましたね。
昨年の「江」のほうが視聴率が高かったのかな。
まあ、視聴率は、我々視聴者には関係ありません。
見る人々が面白い、ためになると思えれば良いのです。
残り半分楽しみましょう!
大河ドラマも半分が終わりましたね。
昨年の「江」のほうが視聴率が高かったのかな。
まあ、視聴率は、我々視聴者には関係ありません。
見る人々が面白い、ためになると思えれば良いのです。
残り半分楽しみましょう!
Posted by Norichan at 2012年06月29日 23:12