2010年03月13日
聖徳太子といけばな (六角堂)
六角堂は、正式名称は頂法寺(ちょうほうじ)という寺院です。
京都の中心部にある寺院で、本堂が平面六角形であることから、「六角堂」と呼ばれています。
六角堂が隣のWEST18のビルに映し出されていました。
実際は、このようなビルの谷間に、六角堂があります。
そして、右側のビルが、池坊会館です。
華道の家元・池坊の発祥の地が、実はここ六角堂なのです。
また、ここに六角堂を建立するきっかけとなったのが、あの聖徳太子です。
聖徳太子が四天王寺建立のための用材を求めてこの地にいらした時、霊夢によってここに六角の御堂を建て、自らの護持仏を安置されたと伝えられています。
六角堂の北面に、太子が沐浴されたと伝えられる池跡があります。
この池のほとりに小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」と呼ばれるようになりました。
池坊の祖先は、朝夕宝前に花を供えてきましたが、ついには代々いけばなの名手として知られるようになり、いけばながひろがったのだそうです。
「いけばな」は、ただ単に美しい花を観賞するだけではありません。
草木のいのちや、われた器や枯れた枝にも”花”があり、そこに花による悟りの種があるという考えが、花道としての文化として育ったのです。
そして、その考えは、海外の人々にも理解される日本文化になりました。
六角堂には、お参りに来る外国人も目立ちました。
京都の中心部にある寺院で、本堂が平面六角形であることから、「六角堂」と呼ばれています。
六角堂が隣のWEST18のビルに映し出されていました。
実際は、このようなビルの谷間に、六角堂があります。
そして、右側のビルが、池坊会館です。
華道の家元・池坊の発祥の地が、実はここ六角堂なのです。
また、ここに六角堂を建立するきっかけとなったのが、あの聖徳太子です。
聖徳太子が四天王寺建立のための用材を求めてこの地にいらした時、霊夢によってここに六角の御堂を建て、自らの護持仏を安置されたと伝えられています。
六角堂の北面に、太子が沐浴されたと伝えられる池跡があります。
この池のほとりに小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」と呼ばれるようになりました。
池坊の祖先は、朝夕宝前に花を供えてきましたが、ついには代々いけばなの名手として知られるようになり、いけばながひろがったのだそうです。
「いけばな」は、ただ単に美しい花を観賞するだけではありません。
草木のいのちや、われた器や枯れた枝にも”花”があり、そこに花による悟りの種があるという考えが、花道としての文化として育ったのです。
そして、その考えは、海外の人々にも理解される日本文化になりました。
六角堂には、お参りに来る外国人も目立ちました。
Posted by Norichan at 12:00│Comments(2)
│京の旅
この記事へのコメント
六角堂はとても複雑な形をしていますね。
生け花の由来の勉強になりました(^○^)。
いったん切られてしまった花も、欠けてしまった器も、めでてあげられるかどうかで、存在価値がかわってくるものなのですね。
以前は生け花そのものの行為が洒落臭くて大嫌いだったのですが、みりも歳をとったのでしょうか(^_^;)。
近頃、手をかけてあげることだけで愛でられる物に変身した花や器の美が、愛おしく感じられるようになりました(^○^)。
Posted by みり at 2010年03月13日 15:46
みりさんへ♪
メインのお堂は六角形です。
聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置する法隆寺の夢殿は八角形。
おなじ聖徳太子に由来するのが興味深いです。
こころを落ちつけて、お花をいけたくなりました。
Posted by Norichan at 2010年03月13日 20:42