京つう

アート/芸術  |洛中

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2009年07月30日

小さい時の遊び場の記憶 (熊野神社)

熊野神社は、紀州の熊野大神と関係があります。
熊野信仰が盛んだった平安時代末期、後白河法皇は度々熊野詣でを行い、この神社を厚く崇敬したそうです。




ですから、この神社に、紀州の土砂や樹木を用いて整備に力を注いだそうです。
この苔むした木は紀州から来たのでしょうか?




今の本殿は江戸時代に大修理が行われ、その時に、下鴨神社の旧本殿を移築した由緒あるものだそうです。




母からは、「小さい時はよく熊野神社の境内で遊んだよ!」と言われるのですが、本人にはそんな記憶はありません。
小さい時には、遊ぶのに十分な広さだったのでしょう。
私には、「熊野神社前」から市電に乗った記憶はあるのですが…
その頃から電車が好きだったんですね。




そんな記憶をたどりながら、久しぶりのお参りをしてきました。  

Posted by Norichan at 19:00Comments(2)京の旅

2009年07月25日

明治の風薫る庭園 (無鄰菴)

無鄰菴(むりんあん)は、明治・大正の元老山県有朋が京都に作った別荘。
その大半は、東山を借景にした広い庭園。




琵琶湖疎水の水を取り入れた庭園は、三段の滝、小川から庭へと続きます。




建物は簡素な木造2階建。




母屋からは、広々とした庭が広がり、その先には、東山が見えます。




また、園内には、土蔵のようなつくりの洋館があります。




この洋館は、明治36年(1903年)に山県有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の4人が、日露戦争開戦直前の外交方針を決めた「無鄰菴会議」というのが行われた場所だそうです。
当時のままの調度品が残っていました。

  

Posted by Norichan at 16:00Comments(0)京の旅

2009年07月24日

ねじりマンポは芸術的トンネル (蹴上)

南禅寺近くにあるインクラインの線路の下に開いているトンネル。




このトンネルは、「ねじりマンポ」
マンポとは、トンネルのこと。
時代や地域によって、そう呼ばれるそうです。
このトンネルの内部は、レンガがねじれるように組まれています。
中に入ると、不思議な感覚になります。




ねじりの構造は、安定したレンガ積みをするための技法の一つなのだそうです。




トンネルの上には、「雄観奇想」の文字。
素晴らしい眺めと優れた考え。
インクラインという発想自体が優れた発想だったと想います。
水路閣といい、このトンネルといい、素晴らしい眺めです。




  

Posted by Norichan at 18:00Comments(8)京の旅

2009年07月24日

舟のケーブルカー (南禅寺・インクライン)

南禅寺近くの蹴上には、電車も走っていないのに、幅の広い線路が残っています。
この線路は、琵琶湖疎水へ舟を上げ下げするためのケーブルカーだったのです。
「インクライン」(傾斜鉄道)と呼ばれます。
その舟を運ぶための台車は、大きな滑車で引っ張り上げられていました。




線路の先には、琵琶湖疎水の水面が見えます。
ここで、舟を疎水に下ろし、琵琶湖まで抜けたのです。
琵琶湖疎水のメインの水は、ここから右側の水路に入って、南禅寺横のレンガ造りの水路閣へ向かいます。




荷物を乗せた舟は、台車に乗せられて、この線路を上ります。
落差は約35mもあるそうです。




この落差を使った商業用の水力発電所の蹴上発電所はインクラインの横にあります。




人間の素晴らしい英知を感じました。



  

Posted by Norichan at 17:30Comments(2)京の旅

2009年07月23日

赤レンガの水の橋 (南禅寺・水路閣)

現在も琵琶湖疎水の水が流れるレンガ造りの橋。




南禅寺の横の緑の中に、赤レンガの橋が映えます。




古代ローマの水道橋をモデルにしたというこの水路閣は、今も現役。






ローマの古代遺跡のようです。




橋の上は、水が勢い良く走り抜けていました。

  

Posted by Norichan at 18:00Comments(0)京の旅

2009年07月23日

絶景かな絶景かな (南禅寺三門)

「絶景かな、絶景かな!」と石川五右衛門が大見得を切ったと言う南禅寺の三門。




盗賊の石川五右衛門は実存したそうですが、彼が処刑されたときには、まだこの三門は出来ていなかったそうです。




緑が鮮やかに飛び込んできます。




石川五右衛門も唸るほどの大きさを誇ると言うことでしょうか。
三門が大きくて、木々に隠れるほどの大きさです。



  

Posted by Norichan at 17:30Comments(0)京の旅

2009年07月22日

曇り空の日食 (京都)

京都は、朝から晴れ間が見えたり、曇ったりの天気。
そして、最大の食になる11時5分頃には、雲間から太陽が顔を出しました。




京都では、最大81%だったとか。
肉眼では、この程度の距離感です。




外では、夏休みの親子が、日食観察をしていました。




街の中は少し暗くなりましたが、20%の太陽の光だけでも結構明るいことに驚きました。




太陽と月が一緒の大きさになるという神秘。
そんな神秘な宇宙の中に我々は存在しているのだと、改めてその不思議を感じました。  

Posted by Norichan at 18:00Comments(4)京の旅

2009年07月20日

小振りながらも古い城 (滋賀・彦根城)

国宝の彦根城。
1622年に完成したお城です。




幕末における幕府の大老を務めた井伊直弼は、藩主となるまでをこの城下で過ごしています。
そして、桜田門外の変で暗殺されます。




天守閣の最上階は、昔の木組がしっかりと見えます。




左右対称の天秤櫓と廊下橋。
あたかも天秤ばかりのような。




敵が来ても、この廊下橋を壊せば、進入できません。




お堀には、屋形船と白鳥がゆったりと並走していました。

  

Posted by Norichan at 12:00Comments(2)

2009年07月20日

ゆるきゃら「ひこにゃん」今日も行く (滋賀・彦根城)

ゆるきゃらの中でも、関西では超有名になった「ひこにゃん」
著作権の問題もありゴタゴタしましたが、今も彦根のキャラクターとして頑張っていました。




今日もさっそうと元気にお出ましです。




「目が見えにくいので、気をつけてください!」のアナウンス。
暑い中を、笑顔を絶やさず大変です。




日の丸の旗を振って、愛嬌を振りまいていました。




街の中でも、有名人。
今度は市長に立候補したら、間違いなく当選ですね・・・

  

Posted by Norichan at 11:00Comments(0)

2009年07月19日

ししおどしのある庭 (詩仙堂)

「ししおどし」の発祥の地は、ここ詩仙堂といわれています。
「鹿おどし」と書いて「ししおどし」と読みます。
「僧都(そうず)」ともいわれ、開山した石川丈山は、静寂の中のこのししおどしの音を愛したといいます。




さつきが咲き終わった向こうには、嘯月楼(しょうげつろう)が見えます。




詩仙堂は、いつも花が咲いています。
庭には、桔梗が可憐に咲いていました。




小さな池の端には、目も覚めるような赤い花。




そして、先日、両足院で見たあのめずらしい半夏生(はんげしょう)が、白く葉を化粧していました。




※両足院の半夏生はこちら
http://photonorichan.kyo2.jp/e1179541.html  

Posted by Norichan at 10:30Comments(0)京の旅

2009年07月19日

静寂とししおどしの音 (詩仙堂)

「詩仙堂」は、正しくは凹凸窠(おうとつか)と言うそうで、詩仙堂はその一室。
凹凸窠とは、でこぼこした土地に建てた住居という意味だそうで、庭園へ下りると、その凹凸感が良くわかります。
結構ユーモアのセンスもあるのかなと思います。
玄関の右にあるユニークな窓。
私には、「笑っている目」のように見えました。
ユーモアセンスを感じました。




そして、玄関には「生死」の板。
ここも生死の関所なのか?



中国の三十六詩人の肖像を狩野探幽に描かせた絵の並ぶ「詩仙の間」
そこから、詩仙堂と呼ばれるようになりました。
詩仙の間から見た庭園です。




雨樋は、素朴な竹で作られていました。
感激。




久しぶりの詩仙堂。
久しぶりに誰もいませんでした。
静寂とししおどしの音だけ・・・
贅沢な時間。

  

Posted by Norichan at 10:00Comments(2)京の旅

2009年07月18日

京都駅も祇園祭 (JR京都駅)

祇園祭は、17日の山鉾巡行で最大の山場を越えました。
でも、祇園祭は、31日までいろんな行事もあり、まだまだ続きます。
京都駅には、山鉾の名前を書いたちょうちんが並んでします。




京都タワーがちょうちんの向こうに顔を覗かせています。




京都駅名物の「0番線」から、雷鳥が出発していきました。

  

Posted by Norichan at 10:00Comments(0)京の旅

2009年07月17日

路地を行く (祇園祭・山鉾巡行)

京都の街は、碁盤の目。
その細い道を路地(ろーじ)と言います。




その細い路地を、鉾が通っていきます。




昔は、こんな細い路地を無病息災を願って集まったんでしょう。




祇園祭は巡行が大きな山場ですが、7月末までまだまだ続きます。



  

Posted by Norichan at 18:20Comments(2)京の旅

2009年07月17日

懐かしい鉾 (祇園祭・鶏鉾)

鶏鉾は、中国の「諫鼓(かんこ)」という史話に由来します。
中国で古代、諫鼓(かんこ)という訴訟の為の太鼓が、天下泰平で使われることも無く、苔が生え、鶏が巣を作ったという故事にちなんでつけられたそうです。
平和の証しでしょう。




半被の後には、「鶏」の文字。




屋根の上で上手に軒をくぐり抜けるのを助ける「屋根方」の鋭い眼差しがありました。




鶏鉾の引き手のかぶる傘は、鶏の鶏冠のような朱色。
学生時代にアルバイトで引いた鉾が、この鶏鉾でした。
こんなすごい祭に参加できたのも、京都に居たからこそ。
懐かしい鉾が目の前を通り過ぎていきました。

  

Posted by Norichan at 18:00Comments(2)京の旅

2009年07月17日

エンヤラヤー! (祇園祭・菊水鉾)

”エンヤラヤー”
この掛け声で、鉾は動き出します。




鉾町の町屋の二階は、祇園祭の巡行の時には特等席になります。




ギシギシと木の車輪が軋む音が響きます。




屋根の上は、軒に当たらないように、電柱を蹴ったりと大変なお仕事ですが、最高の眺めでしょうね。




軒をかすめて、進んでいきます。




  

Posted by Norichan at 17:30Comments(0)京の旅

2009年07月17日

狭い通りを鉾が通る (祇園祭・月鉾)

都大路を巡行してきた山鉾は、御池通からは鉾町に戻ります。
特に背の高い鉾は、新町通を通ります。




この通りには、横に電線がなく、のっぽの鉾も通れるようになっています。
でも、幅は狭く、鉾がぎりぎり通れる広さ。




ですから、毎年、電柱や鉾に被害が出ます。




”エンヤラヤー!”の掛け声で、鉾が動き出します。




大きな車輪が、真横を通ります。




後姿を左右に揺らしながら、細い路地を通り抜けていきました。





  

Posted by Norichan at 17:00Comments(0)京の旅

2009年07月16日

祇園囃子がコンチキチン (祇園祭)

”コンチキチン”
祇園囃子の音色をこう表現します。
特に、鉦の音色は、まさしく”コンチキチン”と響きます。




鉦を打つ腕には紐が括り付けられていて、鉦を打つ手が上下すると、紐に付いた総が優雅に揺れます。
音色を聞きながらこの動きを見ていると、何ともしなやかで優雅な祇園祭そのものです。




笛、太鼓、鉦のお囃子が、祇園祭を一気に盛り上げてくれます。




明日は、都大路を練り歩きます。
”コンチキチン”と祇園囃子を奏でながら・・・


  

Posted by Norichan at 18:40Comments(0)京の旅

2009年07月16日

宵闇迫る宵山 (祇園祭・宵山)

今日も一日が終わりを告げる宵。
京都は、祇園祭の宵山を迎えました。




鉾のちょうちんに明かりが灯りだします。




ちょうちんが宵山を盛りたてます。




鉾の上からは、”コンチキチン”という祇園囃子が響き始めました。

  

Posted by Norichan at 18:30Comments(0)京の旅

2009年07月15日

赤レンガと窓 (同志社大学・啓明館)

同志社大学の今出川キャンパスにある啓明館(けいめいかん)。
この建物は、2代目図書館として1920年(大正9)年5月竣工。




アーチ状のオーナメントが施された入口など洗練された外観を見せています。




いろんなタイプの窓が赤煉瓦の中にあります。




内部は明るく、階段の手すりにも彫刻がされています。




この丸い窓と煉瓦の幾何学模様は、新鮮です。


  

Posted by Norichan at 18:00Comments(0)ヴォーリズの世界

2009年07月14日

優雅に羽ばたく (同志社大学・アーモスト館)

同志社大学の今出川キャンパスにあるアーモスト館。
シンメトリックで優雅な姿は、まるで鳥が今飛び立たんばかりの美しさです。
今年、改修工事を終えたばかりなので、余計に輝いていました。




現在、アーモスト館は、海外からの研究員の教育・研究のための長期滞在用の施設として使用されています。




学生時代に、一度だけ中に入ったことがありますが、明るく、でも重厚な内装です。

W.M.ヴォーリズが設計し、1932(昭和7)年に竣工したこの建物。
屋根の上の大きな煙突と大きく張り出した窓が特徴的です。




たぶん、彼の設計の中でも最高傑作のひとつだと思います。
今でも同志社大学を訪ねると、足が向いてしまいます。




  

Posted by Norichan at 12:00Comments(2)ヴォーリズの世界