2009年01月31日
日ノ岡峠を牛車が通る (山科日ノ岡峠)
山科から東山を越える日ノ岡峠は、東海道で逢坂山を越えたあと京都の市内に入る最後の峠でした。
江戸時代、ここを牛車(ぎっしゃ)が荷物を運ぶ道になっていて、牛車の車がちょうど通るレールのような石が敷き詰められていました。
その石が「車石」。

重さ300kgの牛車に米俵9俵(540kg)を載せた牛車が、年間二万輌以上往来していたそうです。
雨が降るとぬかるんで動かなくなる牛車。

そこで、敷設されたのがこの車石。
年間二万輌以上も往来することでえぐられ、丸く深い溝をつくっていったのだそうです。

明治に入って、近代的な道に整備され、車石は道路の溝石や峠道の保護壁などに転用され、日ノ岡峠には、今もその車石が壁に使用されています。

この交差した石は、たぶん交差点のようなところに設置されていた車石でしょうか。

右の石垣にも、多くの車石が使われています。
日ノ岡峠は、今も多くの車がひっきりなしに通過していきます。

江戸時代、ここを牛車(ぎっしゃ)が荷物を運ぶ道になっていて、牛車の車がちょうど通るレールのような石が敷き詰められていました。
その石が「車石」。
重さ300kgの牛車に米俵9俵(540kg)を載せた牛車が、年間二万輌以上往来していたそうです。
雨が降るとぬかるんで動かなくなる牛車。
そこで、敷設されたのがこの車石。
年間二万輌以上も往来することでえぐられ、丸く深い溝をつくっていったのだそうです。
明治に入って、近代的な道に整備され、車石は道路の溝石や峠道の保護壁などに転用され、日ノ岡峠には、今もその車石が壁に使用されています。
この交差した石は、たぶん交差点のようなところに設置されていた車石でしょうか。
右の石垣にも、多くの車石が使われています。
日ノ岡峠は、今も多くの車がひっきりなしに通過していきます。
2009年01月30日
紅燃ゆる丘の花 (吉田山)
京都大学の東に小高い丘の吉田山があります。
標高は、105.12メートル。.
時計台ホールを左手にして東に進むと、吉田神社の朱の鳥居が見えてきます。
大きな鳥居も、夕日に浴びて紅に染まり始めました。

吉田神社は、室町時代から受け継がれている節分祭で有名。
もうすぐ節分です。
参道には露店が並び賑やかになります。

この社の向こう側は吉田山です。
節分祭の追儺式(鬼やらい神事)では、追われた鬼は吉田山に逃げて行きます。

その逃げていく吉田山の山頂には、旧三高の逍遥歌の碑が建っています。
「紅燃ゆる丘の花
早緑匂う岸の色
都の花にうそぶけば
月こそかかれ吉田山」

この石碑から少し行くと、 「茂庵」というカフェがあります。
京都市内が一望できるこのカフェ。
ゆっくり本でも読むのには最高の場所です。
ただ、吉田山の頂上なので、カフェ営業時間は夕方6時までです。

標高は、105.12メートル。.
時計台ホールを左手にして東に進むと、吉田神社の朱の鳥居が見えてきます。
大きな鳥居も、夕日に浴びて紅に染まり始めました。
吉田神社は、室町時代から受け継がれている節分祭で有名。
もうすぐ節分です。
参道には露店が並び賑やかになります。
この社の向こう側は吉田山です。
節分祭の追儺式(鬼やらい神事)では、追われた鬼は吉田山に逃げて行きます。
その逃げていく吉田山の山頂には、旧三高の逍遥歌の碑が建っています。
「紅燃ゆる丘の花
早緑匂う岸の色
都の花にうそぶけば
月こそかかれ吉田山」
この石碑から少し行くと、 「茂庵」というカフェがあります。
京都市内が一望できるこのカフェ。
ゆっくり本でも読むのには最高の場所です。
ただ、吉田山の頂上なので、カフェ営業時間は夕方6時までです。
2009年01月29日
何だか変!(ガソリンスタンドにて)
ガソリンスタンドで見た看板です。
これって、どういう英語でしょうか?
「 NI 」
「 にー! 」って笑っている訳ではないでしょうし・・・
「 IN 」なのでしょうが、英語は右側からの表記では読みません。
この表記は、まさしくアウトです!
2009年01月25日
たそがれどきの二人(東山将軍塚)
東山ドライブウェイを登っていくと、将軍塚があります。
ここは、京都市街地が一望できるデートスポット。
夕焼けの後のたそがれどきは、寒い山の上も暖かな雰囲気に包まれます。

眼下には、京都タワーが見えます。

暖かく着込んだカップルが、夕闇の迫る山を眺めていました。

たそがれの風景は、すぐに夜景へと景色を変えていきました。
ここは、京都市街地が一望できるデートスポット。
夕焼けの後のたそがれどきは、寒い山の上も暖かな雰囲気に包まれます。
眼下には、京都タワーが見えます。
暖かく着込んだカップルが、夕闇の迫る山を眺めていました。
たそがれの風景は、すぐに夜景へと景色を変えていきました。
2009年01月25日
生活が息づく三条白川の流れ (東山三条)
仁王門通神宮道付近の琵琶湖疎水から引き込まれて、知恩院、祇園を経て鴨川へ流れ込む白川。
この川は、1kmちょっとの流れですが、いろんな顔を見せてくれます。
三条白川から華頂短大の付近までの流れは、柳並木の中、毎日の生活を感じる川です。


この橋は、一本橋。
行者橋とも呼ばれ、比叡山の阿闍梨修行で千日回峰行を終えた行者が、京の街に入洛するときに最初に渡る橋だそうです。
毎日行き交う人で、石の橋も磨り減っていました。

鷺も飛んでくる美しい流れです。

三条通に架かる「白川橋」

(友人が撮影した34年前の同じ場所の風景が見れます。)
この橋の横には、このような道標が立っています。

この道標は、延宝6(1678)年 というから330年も前に立てられた京都の道標で現存最古というもの。
「これより左 知恩院 祇園 清水道」
側面には「京都に無案内な旅人のために建てた」と記されていました。

今も変わらず、時間も流れていました。
この川は、1kmちょっとの流れですが、いろんな顔を見せてくれます。
三条白川から華頂短大の付近までの流れは、柳並木の中、毎日の生活を感じる川です。
この橋は、一本橋。
行者橋とも呼ばれ、比叡山の阿闍梨修行で千日回峰行を終えた行者が、京の街に入洛するときに最初に渡る橋だそうです。
毎日行き交う人で、石の橋も磨り減っていました。
鷺も飛んでくる美しい流れです。
三条通に架かる「白川橋」
(友人が撮影した34年前の同じ場所の風景が見れます。)
この橋の横には、このような道標が立っています。
この道標は、延宝6(1678)年 というから330年も前に立てられた京都の道標で現存最古というもの。
「これより左 知恩院 祇園 清水道」
側面には「京都に無案内な旅人のために建てた」と記されていました。
今も変わらず、時間も流れていました。
2009年01月24日
鳥居が伝える「いにしえ」の世界 (野宮神社)
縁結びの神様としても有名な源氏物語にも出てくる嵯峨野の「野宮神社」
ここの鳥居の黒木鳥居は、クヌギの木の皮を剥かないまま使用する、日本最古の鳥居の様式。

朱塗りの鳥居と違い、重厚感があります。



苔むした石垣も、「いにしえ」の世界を伝えてくれます。

縁結びの神様、子宝安産の神様とも言われていますが、お祀りするのは、かの「天照皇大神」(あまてらすおおみかみ)
幸せが訪れますように!
ここの鳥居の黒木鳥居は、クヌギの木の皮を剥かないまま使用する、日本最古の鳥居の様式。
朱塗りの鳥居と違い、重厚感があります。
苔むした石垣も、「いにしえ」の世界を伝えてくれます。
縁結びの神様、子宝安産の神様とも言われていますが、お祀りするのは、かの「天照皇大神」(あまてらすおおみかみ)
幸せが訪れますように!
2009年01月24日
大切な髪のために (御髪神社)
嵐山にある大河内山荘からトロッコ列車の嵐山駅へ下っていくと、その先にあるのが、 「御髪神社」 (みかみじんじゃ)
日本唯一の髪の神社。

ちっちゃなお社ですが、立派な構えです。
「髪」と「神」には通ずるものがあるのでしょう。

祭壇には、ちょうどネコが三匹鎮座されていました。

ふさふさとした毛並みのネコさん。
この神社のご利益がありそうです。

薄くなってきた髪の毛が気になる私。
ちゃんとお参りをしておきました。
「ふさふさ!」
日本唯一の髪の神社。
ちっちゃなお社ですが、立派な構えです。
「髪」と「神」には通ずるものがあるのでしょう。
祭壇には、ちょうどネコが三匹鎮座されていました。
ふさふさとした毛並みのネコさん。
この神社のご利益がありそうです。
薄くなってきた髪の毛が気になる私。
ちゃんとお参りをしておきました。
「ふさふさ!」
2009年01月23日
瓦が織り成す芸術的な勅使門 (天龍寺)
天龍寺の総門を入ってすぐ左手にある勅使門。
もと伏見城にあったと伝えられるもの。
江戸時代中期まで何度も火災にあっている天龍寺の中では、桃山様式をあらわすこの門が最古の建築。
常は開かず、勅使が参向するときのみ開かれたものです。

この門の壁が瓦などを埋め込んだ素晴らしいもの。

単なる白壁ではない素朴さが花と調和しています。

パズルのような近代的な感覚。



勅使門の向こうには、嵐山の冬景色が広がっていました。
もと伏見城にあったと伝えられるもの。
江戸時代中期まで何度も火災にあっている天龍寺の中では、桃山様式をあらわすこの門が最古の建築。
常は開かず、勅使が参向するときのみ開かれたものです。
この門の壁が瓦などを埋め込んだ素晴らしいもの。
単なる白壁ではない素朴さが花と調和しています。
パズルのような近代的な感覚。
勅使門の向こうには、嵐山の冬景色が広がっていました。
2009年01月23日
冬に咲く蝋梅 (天龍寺)
紅葉の華やかな時期を過ぎると、嵐山も古都の落ち着きを取り戻します。
紅葉の時期には人でいっぱいだった世界遺産の天龍寺の「曹源池庭園」もひっそりとしていました。
でも、紅葉の華やかさはなくなっても、庭園にはいろんな花が咲いていました。

この黄色い花は、「蝋梅」。
蝋細工のように透き通った花びらを持つこの花は梅ではありませんが、梅のような良い香りが漂っていました。

太陽の光が当たると、本当に蝋細工の花びらに見えます。

「曹源池庭園」には暖かい日差しが射していましたが、やはり冬景色の嵐山です。
紅葉の時期には人でいっぱいだった世界遺産の天龍寺の「曹源池庭園」もひっそりとしていました。
でも、紅葉の華やかさはなくなっても、庭園にはいろんな花が咲いていました。
この黄色い花は、「蝋梅」。
蝋細工のように透き通った花びらを持つこの花は梅ではありませんが、梅のような良い香りが漂っていました。
太陽の光が当たると、本当に蝋細工の花びらに見えます。
「曹源池庭園」には暖かい日差しが射していましたが、やはり冬景色の嵐山です。
2009年01月20日
今も変わらぬ高瀬川の流れ~一之船入~
「高瀬川一之船入」とは、高瀬川に作られた船からの荷物を下ろす船着場。
高瀬川は、実は江戸時代に作られた運河です。

その起点となるのが、この二条木屋町あたり。
その最初の船入なので「一之船入」と呼ばれています。
昔は水路に沿って9ヶ所あったそうです。


並行する通りは「木屋町通り」
この界隈には、材木屋が多かったので木屋町と呼ばれています。
材木の積み下ろしで賑わったことでしょう。
お酒や米俵も運ばれていたのかもしれませんが・・・

高瀬川は、十条まで南下し、さらに鴨川を横断して伏見ま通じていたそうで、そこで宇治川に合流し、水の都大阪へ。

当時も、高瀬川の流れる木屋町通りには、商いをする店や宿屋などが立ち並んでいたのでしょう。
冬はひっそりとしているこの付近も、桜の頃はすばらしい華やかな通りになります。
昨年4月の木屋町通りの高瀬川の桜です。
http://photonorichan.kyo2.jp/e508670.html
高瀬川は、実は江戸時代に作られた運河です。
その起点となるのが、この二条木屋町あたり。
その最初の船入なので「一之船入」と呼ばれています。
昔は水路に沿って9ヶ所あったそうです。
並行する通りは「木屋町通り」
この界隈には、材木屋が多かったので木屋町と呼ばれています。
材木の積み下ろしで賑わったことでしょう。
お酒や米俵も運ばれていたのかもしれませんが・・・
高瀬川は、十条まで南下し、さらに鴨川を横断して伏見ま通じていたそうで、そこで宇治川に合流し、水の都大阪へ。
当時も、高瀬川の流れる木屋町通りには、商いをする店や宿屋などが立ち並んでいたのでしょう。
冬はひっそりとしているこの付近も、桜の頃はすばらしい華やかな通りになります。
昨年4月の木屋町通りの高瀬川の桜です。
http://photonorichan.kyo2.jp/e508670.html
2009年01月18日
夕闇迫る中国山脈越え~因美線・津山線~
鳥取から津山を結ぶ因美線。
そして津山から岡山を結ぶ津山線。
中国山脈の背骨を越える厳しい路線です。
岡山県と鳥取県の県境には因美線最長のトンネルである物見トンネルがあり、物見峠を潜り抜けて県境を越えていきます。
那岐駅を出ると、速度も15km/h程度。
中国山脈は、夕闇が迫っていました。

物見峠を越えた美作河井駅。
一息つきます。

周りの山は、夕日が沈んで、夕闇が迫ってきます。


鳥取を15時26分に出て津山線に乗り換えて岡山に着いたのは19時00分。
3時間半の長旅でした。
中国山脈の背骨を越える旅は、私の背骨にも厳しい旅でしたが、ローカル線の素晴らしさを十二分に感じさせてくれました。
そして、沿線の風景は、雪の季節が造りだす造形美でいっぱいでした。

そして津山から岡山を結ぶ津山線。
中国山脈の背骨を越える厳しい路線です。
岡山県と鳥取県の県境には因美線最長のトンネルである物見トンネルがあり、物見峠を潜り抜けて県境を越えていきます。
那岐駅を出ると、速度も15km/h程度。
中国山脈は、夕闇が迫っていました。
物見峠を越えた美作河井駅。
一息つきます。
周りの山は、夕日が沈んで、夕闇が迫ってきます。
鳥取を15時26分に出て津山線に乗り換えて岡山に着いたのは19時00分。
3時間半の長旅でした。
中国山脈の背骨を越える旅は、私の背骨にも厳しい旅でしたが、ローカル線の素晴らしさを十二分に感じさせてくれました。
そして、沿線の風景は、雪の季節が造りだす造形美でいっぱいでした。
2009年01月18日
餘部鉄橋からの風景~餘部鉄橋~
城崎温泉からは、鳥取に向かう。
途中、餘部鉄橋を通過。
気動車から下を見下ろすと、民家の屋根には雪が残っていました。
2009年(平成21年)1月17日午後2時01分

あの事故が起きたときも、こんな風景だったのかもしれません。
1986年(昭和61年)12月28日午後1時25分頃
日本海からの突風にあおられて橋りょう中央部付近より機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落。
転落した客車は橋りょうの真下にあった水産加工工場を直撃し、従業員だった主婦5名と乗務中の車掌1名の計6名が無くなられました。
日本海は、この日も荒い波しぶきを上げていました。

今、新しい橋の建設で、駅も工事の真っ只中。

普通の気動車は、定刻に浜坂に着きました。
浜坂駅には、蒸気機関車時代の遺産であるレンガ造りの機関車給水塔が懐かしい昔を語りかけていました。

※昨年の餘部鉄橋訪問時の私のブログです。
http://photonorichan.kyo2.jp/e481847.html
途中、餘部鉄橋を通過。
気動車から下を見下ろすと、民家の屋根には雪が残っていました。
2009年(平成21年)1月17日午後2時01分
あの事故が起きたときも、こんな風景だったのかもしれません。
1986年(昭和61年)12月28日午後1時25分頃
日本海からの突風にあおられて橋りょう中央部付近より機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落。
転落した客車は橋りょうの真下にあった水産加工工場を直撃し、従業員だった主婦5名と乗務中の車掌1名の計6名が無くなられました。
日本海は、この日も荒い波しぶきを上げていました。
今、新しい橋の建設で、駅も工事の真っ只中。
普通の気動車は、定刻に浜坂に着きました。
浜坂駅には、蒸気機関車時代の遺産であるレンガ造りの機関車給水塔が懐かしい昔を語りかけていました。
※昨年の餘部鉄橋訪問時の私のブログです。
http://photonorichan.kyo2.jp/e481847.html
2009年01月18日
城崎カニ王国~城崎温泉~
冬の日本海は、やはりカニ。
城崎温泉駅では、カニさんがお出迎えです。

でも、やはり「日本語」を話すりっぱなカニさんはお高いです。


せっかくだったので、この店のとなりの直営食堂で「カニめし」をいただきました。

つい飲み薬に「チュウハイ」という薬を飲んでしまいましたが・・・
おいしい冬の味覚でした。
城崎温泉駅では、カニさんがお出迎えです。
でも、やはり「日本語」を話すりっぱなカニさんはお高いです。
せっかくだったので、この店のとなりの直営食堂で「カニめし」をいただきました。
つい飲み薬に「チュウハイ」という薬を飲んでしまいましたが・・・
おいしい冬の味覚でした。
2009年01月18日
城崎の橋~城崎温泉~
城崎温泉の中心に流れる大谿川には、多くの橋が架かっています。
川沿いの柳の中を下駄の音をカラコロいわせて、橋を渡って外湯めぐり・・・

「一の湯」の前にある「王橋」
欄干が豪華です。

欄干の洒落た隙間から、柳を覗いてしまいました。

弁天橋が水面に逆さに映っています。

桜橋は、桜のレリーフ付き。

満開の桜の季節は、さぞ華やかになることでしょう。
そして散り行く桜の花びらが川に落ちて流れていく光景が目に浮かびました。
川沿いの柳の中を下駄の音をカラコロいわせて、橋を渡って外湯めぐり・・・
「一の湯」の前にある「王橋」
欄干が豪華です。
欄干の洒落た隙間から、柳を覗いてしまいました。
弁天橋が水面に逆さに映っています。
桜橋は、桜のレリーフ付き。
満開の桜の季節は、さぞ華やかになることでしょう。
そして散り行く桜の花びらが川に落ちて流れていく光景が目に浮かびました。
2009年01月18日
城崎の柳~城崎温泉~
城崎温泉は大谿川沿いの柳の中を下駄の音をカラコロいわせて外湯めぐり・・・
そんな風情のある温泉です。

そぞろ歩きで疲れた体を、温かい温泉が癒してくれます。

前日までの雪が解け、ちょっと暖かい一日に柳も一安心。

冬の中でも青々とした柳が、とても印象的です。

水面に映った柳の美しさに、つい見惚れてしまいました。
そんな風情のある温泉です。
そぞろ歩きで疲れた体を、温かい温泉が癒してくれます。
前日までの雪が解け、ちょっと暖かい一日に柳も一安心。
冬の中でも青々とした柳が、とても印象的です。
水面に映った柳の美しさに、つい見惚れてしまいました。
2009年01月18日
冬の城崎~城崎温泉~
1300年の歴史をもつ城崎温泉は、関西では人気の温泉。
まだ歓楽街化していない素朴さが、私は好きです。
前日までの雪も上がり、寒さもひと段落。
駅に降りると、下駄が並んでいます。
下駄をカラコロならしての外湯巡りが城崎温泉の名物。
城崎では、古い下駄を供養してたきあげ、新しい下駄を奉納して、お客様の安全と健康を祈願しています。

駅の横には、「さとの湯」があり、入り口の無料の足湯は、ちょっとし乗り継ぎの待ち時間を利用して温泉気分が楽しめます。

今回は、由緒ある「一の湯」へ。
一の湯は江戸時代『新湯(あらゆ)』と呼ばれていましたが、医師香川修徳が泉質を絶賛し、『海内一』(=日本一)の意味を込めて一の湯に改名したそうです。
洞窟風呂は、ちょっとした露天風呂気分が味わえます。

胸と腰の痛みをじっくりと労わってあげました。
まだ歓楽街化していない素朴さが、私は好きです。
前日までの雪も上がり、寒さもひと段落。
駅に降りると、下駄が並んでいます。
下駄をカラコロならしての外湯巡りが城崎温泉の名物。
城崎では、古い下駄を供養してたきあげ、新しい下駄を奉納して、お客様の安全と健康を祈願しています。
駅の横には、「さとの湯」があり、入り口の無料の足湯は、ちょっとし乗り継ぎの待ち時間を利用して温泉気分が楽しめます。
今回は、由緒ある「一の湯」へ。
一の湯は江戸時代『新湯(あらゆ)』と呼ばれていましたが、医師香川修徳が泉質を絶賛し、『海内一』(=日本一)の意味を込めて一の湯に改名したそうです。
洞窟風呂は、ちょっとした露天風呂気分が味わえます。
胸と腰の痛みをじっくりと労わってあげました。
2009年01月12日
雪の花背峠~花背峠~
常照皇寺からの帰りは、花背峠を越えて鞍馬へ。

雪がなくても狭くて大変な峠越えに突入。

昨晩はかなり降った様子。
雪晴れの景色は最高。

しかし、前を行く車は悪戦苦闘。

圧雪状態の雪道を快走・・・。
でも、行き違いで、下りの車が停まらないので、私が停車してしまったのが悪かった。
スタートしようとしたら、タイヤが空転!
バックして体制を立て直してやっと抜け出しました。
雪道では上り優先でお願いします。

鞍馬まで下りると、もう雪はなくなっていました。
雪がなくても狭くて大変な峠越えに突入。
昨晩はかなり降った様子。
雪晴れの景色は最高。
しかし、前を行く車は悪戦苦闘。
圧雪状態の雪道を快走・・・。
でも、行き違いで、下りの車が停まらないので、私が停車してしまったのが悪かった。
スタートしようとしたら、タイヤが空転!
バックして体制を立て直してやっと抜け出しました。
雪道では上り優先でお願いします。
鞍馬まで下りると、もう雪はなくなっていました。
2009年01月12日
雪の中の雪見灯篭~常照皇寺~
京北町にひっそりと建つ常照皇寺。
歴代天皇との縁が深い禅寺です。
勅額門を入ってすぐの池にある雪見灯篭。
初秋に訪れた時には何とも感じなかった雪見灯篭が、雪の中では、すばらしい光景を創り出していました。


東山魁夷も描いた勅使門はひっそりと門を閉じていました。
http://superman007.cocolog-nifty.com/norichan/2008/10/1964-66-42db.html

桧皮葺きの仏殿、茅葺きの方丈など境内の諸堂は、どことなく雅やかさが漂います。
誰もいない方丈の奥から水音が・・・

裏山を利用した庭の池に、枝に付いた雪が落ち、水音が水琴窟(すいきんくつ)のような音色で響いていました。

桜や紅葉の季節とはまた違った趣きのある、雪晴れの常照皇寺でした。
歴代天皇との縁が深い禅寺です。
勅額門を入ってすぐの池にある雪見灯篭。
初秋に訪れた時には何とも感じなかった雪見灯篭が、雪の中では、すばらしい光景を創り出していました。
東山魁夷も描いた勅使門はひっそりと門を閉じていました。
http://superman007.cocolog-nifty.com/norichan/2008/10/1964-66-42db.html
桧皮葺きの仏殿、茅葺きの方丈など境内の諸堂は、どことなく雅やかさが漂います。
誰もいない方丈の奥から水音が・・・
裏山を利用した庭の池に、枝に付いた雪が落ち、水音が水琴窟(すいきんくつ)のような音色で響いていました。
桜や紅葉の季節とはまた違った趣きのある、雪晴れの常照皇寺でした。
2009年01月12日
2009年01月12日
雪の北山「古都」の世界~北山~
川端康成の「古都」の舞台ともなった北山。
北区小野下ノ町の北山杉資料館の横にある北山グリーンガーデン内に、千重子と苗子の「再会」の場面の銅像があります。
稲妻と雷鳴はありませんでしたが、雪深さは、双子のふたりの運命を物語ってくれるのかもしれません。

初秋の二人は、もっと温かそうでした。

雪の北山は、今も昔も厳しいものだったと思います。
そして、静寂さも、今も昔も変わらないと思います。
北山杉は、雪の中でもたくましく育っています。

川端康成の碑も北山杉の見える場所に建っていました。


北区小野下ノ町の北山杉資料館の横にある北山グリーンガーデン内に、千重子と苗子の「再会」の場面の銅像があります。
稲妻と雷鳴はありませんでしたが、雪深さは、双子のふたりの運命を物語ってくれるのかもしれません。
初秋の二人は、もっと温かそうでした。
雪の北山は、今も昔も厳しいものだったと思います。
そして、静寂さも、今も昔も変わらないと思います。
北山杉は、雪の中でもたくましく育っています。
川端康成の碑も北山杉の見える場所に建っていました。