京つう

アート/芸術  |洛中

新規登録ログインヘルプ


2008年08月30日

「トワイライトエクスプレス」北海道の風を乗せて

先日の眼科の帰りに、山科疎水を訪ねましたが、そのそばに、高い陸橋があります。
この陸橋は、東海道本線と湖西線を跨ぐものです。

時計を見ると、まだ12時前!
となると、もうすぐ札幌発の「特急トワイライトエクスプレス」が通過する時間。
無理をせずに、でも頑張って陸橋を駆け上がりました。

向こうに見えるのは東山。
山科の町が見渡せる絶好の景色。
サンダーバードと新快速が通過していきました。




しばらく待っていると、北海道の風を乗せて、「トワイライトエクスプレス」がやってきました。
きょうは、グリーン色のEF81が牽引していました。




夏休みの思い出をいっぱい乗せて、大阪に向けて、走り抜けて行きました。




山科疎水のセミの声は、「アブラゼミ」から「ひぐらし」に変わっていました。


  

Posted by Norichan at 22:30Comments(0)鉄道

2008年08月29日

眼科の帰りに山科疎水散策

お盆が過ぎると、急に天気が不順になりました。icon02
この数日はずーっと曇天。(涙)
きのうは、名古屋や東京でも局地的な大雨になったようです。icon03
温暖化の影響もあるんでしょうか。
海水温度の影響で、変に前線が停滞してしまうんですね。
名古屋や特に岡崎では1時間に147ミリの雨が降って、多くの家が冠水したというニュースを見ました。
名古屋駅前の地下街も水浸しになったようで・・・
知り合いがいるので、大丈夫だったかなと心配しながら、曇った東の空を眺めていました。icon11
心配ですicon03

きょうは、眼科へ行ってきました。
最近、よくめまいが起こります。
昨日も、目の視点が急に合わなくなり、風景がぐるぐると回りだしました。
メリーゴーランドなら楽しいのですが・・・icon82

山科で友達が眼科をしています。
よく流行っていて、朝9時半に行ったのに、14人待ちicon74
まあ忙しい身の上ではないので、ゆっくりと待っていました。
久しぶりだったので、カルテからは私と認識できず、顔を見て、「久しぶり!どうしたの?」
どうしたのって言われても、胃が痛くて眼科には来ないだろうし・・・(笑)
手術をしたことなどを話す。
2回の手術を受けたダメージがある中で、パソコン画面を見ての作業などを続けると疲労でめまいを起こす可能性は高くなると言われました。
眼自体は特には問題がないようでした。
結局カウンセリングで終わりましたが、次回はご飯でも食べながら・・・ということになりました。
めまいについては、今度の心臓血管外科の診察でも相談しようと思います。

ただでは帰らない「わらしべ長者」の私は、帰りに、近くの山科疎水を散策しました。
そういえば、今年の桜の満開時期にも訪ねました。icon62
http://photonorichan.kyo2.jp/e511101.html



今は、青々とした葉っぱが、風に揺れていました。



疎水の道には、可憐な花が咲いていました。



もうすぐ、このもみじも、真っ赤に色づくんでしょうね。
真っ赤に色づいた頃に、また来ましょう。icon12







  

Posted by Norichan at 16:00Comments(4)京の旅

2008年08月28日

家のパソコンたち

久しぶりにパソコンを発注しました。
やっと、Windows Vistaです。
私の使用しているのは、自作機で、作動も遅くなってきました。
リビングに置いて家の誰もが使えるパソコンも、最近作動が遅くなってきました。
その置き換えです。

これで、自宅には、デスクトップ6台、ノート1台になります。
とはいえ、現在稼動中のものは3台。
2台の自作機は捨てられず、Linuxを入れて遊んでみたりしています。

デスクトップの一台は、パソコン時代の幕開けに登場した「シャープMZ-80B」
知る人ぞ知る名機です。



なんと言っても、記憶装置は、「カセットテープ」なのです!
その頃のオールインワンタイプで、CRTは小さな黒い画面に緑の文字。
改造を重ね、カラーモニターで映し出されたときは、感激でした。
もう使っていませんが、捨てがたく、部屋の「記念碑」になっています。
その頃は、自分で「BASIC」言語を使って、プログラミングも楽しんだものです。

その次に購入したのが、「NEC PC-9801」
MS-DOSベースの市場向けとして、一斉を風靡しました。
初めての3.5インチフロッピーディスクが嬉しかった!
これは、さすがに破棄しました。

どこのメーカーのパソコンともつなげることができるのは「当たり前」
インターネットでいろんな情報をすぐ手に入れられるのは「当たり前」
数十年前には、その「当たり前」は「夢物語」でした。

夢は着実に現実になっていくんですね。

きょうも私は動作の遅い自作機で、このブログを打っています。
「BOZ SCAGGS」の「We're All Alone」を聞きながら・・・

http://jp.youtube.com/watch?v=U3FPuK8RFK8






  

Posted by Norichan at 15:00Comments(2)私の思い

2008年08月24日

サザンオールスターズ「真夏の大感謝祭」ライブ

きょうは、夜の6時から9時半まで、WOWOWで生中継されたサザンオールスターズ「真夏の大感謝祭」ライブでのりまくりました。
そして、ちょっと涙しました。


  (WOWOWさん、写真お借りしました。WOWOWに加入しているのでゆるして!)

大雨の中での日産スタジアム。
お天気まで、彼のステージを大いに演出してしまったみたい。
30周年記念ライブ。

どしゃぶりの中で歌いまくる桑田佳祐。
どしゃぶりの中でスタンディングして彼の歌に応える若者。

彼らの駆け抜けた30年は、その時代の若者の心に深く共感するものを与えたんだと思います。
恋すること、生きること。
その楽しさと辛さ!

最後の曲は、【「Ya Ya 「あの時代(とき)を忘れない」】
素敵な歌詞です。
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/72619/Y003250

彼の曲は、決して懐メロにはなりません。
いつでも新鮮で、いつでも若者の心にその思いを刻むから・・・

声が出るようになったら、またカラオケで歌いたいな!

きょうは、最高のライブでした!





  

Posted by Norichan at 22:00Comments(2)音楽

2008年08月22日

心に響いた康正ライブ

8月16日 大文字の送り火の日に、半年ぶりに、菊池康正さんのライブを聞きに行きました。
場所は、大阪の「ジャズオントップ」




そういえば、今年の4月の「ジャズオントップ」でのライブの時には、私が大動脈瘤であることがわかっていて、友人と手術を頑張るようにという「激励会」で、酒をバンバン飲みながら聞いたライブでした。
まさか、爆発寸前の弓部大動脈瘤と肺がんとは知らずに・・・
今回は、その友人と手術から生還してきた「生還祝い」を、康正さんのサックスを聞きながら、祝いました。
スーパードライ1杯、ギネス2杯、そして赤ワイン2杯も飲んだのは、4月以来。
お酒も復活できそうです!




今回も、いつものアットホームの中にも、格調の高いライブ。
「Everything 」
「I am a fool to want you 」
「Water is wide 」
この3曲は、最近ずーっとプレーヤーで聞いている曲。
今の私の心には、ずっしりとくる曲です。
「Everything 」は、Misiaの原曲も聞きました。
そして、「I am a fool to want you 」は、Billy Holidayの原曲を聞きました。
康正さんのサックスに、つい涙が溢れてきました。
康正さんの音は、心も揺さぶります。




手術前まで練習していたのが、ちょうどこの曲。
今はまだ手術後で息が十分出せませんが、この曲を吹いて、自分自身の心を癒したいと思います。

康正さんの「I am a fool to want you 」演奏のライブ映像を、You Tube で見つけました。
泣かせますでしょ。
http://jp.youtube.com/watch?v=bkFJMw1cQ7Q

康正さん、ありがとうございました。
私は術後のからだですが、元気に頑張ります。
その元気を、康正さんからいただいたような気がします。


【菊地康正さんの公式サイト】
http://kose-sax-flute.jp/  

Posted by Norichan at 20:00Comments(8)音楽

2008年08月13日

久しぶりの横川駅

もう何十年ぶりになるのでしょか。
久しぶりに横川駅を訪れました。



駅前には、当時の賑わいはありませんが、名物だった「峠の釜めし」はそのままでした。



そして、駅前の溝のふたは、アプト式の線路が敷かれてありました。





その頃は、まだ新幹線がなく、いろんな機関車が胸を張って、働いていました。
そして、軽井沢までだと、一旦機関車の付け替えがあり、その停車時間が楽しかった思い出があります。







今では、信越線の線路は、いったん横川駅までで途絶え、軽井沢まではバス、軽井沢からは私鉄となった「しなの鉄道」となり、篠ノ井からまた信越線が復活するという不思議な路線です。



今は、横川駅の先が、「碓氷峠鉄道文化むら」となっています。
http://www.usuitouge.com/bunkamura/

ここでは、旧信越線の線路をつかってのトロッコ列車の運行もされています。
旧信越線の上り線路を使用しての運行は、昔の65パーミル(1km進むと65m高くなる傾斜)という急勾配を、碓氷峠専用として2両だけ製造されたTMC-500Aというディーゼルの保線用車両が押し上げます。



途中、旧丸山変電所駅にて停車し、旧丸山変電所を見学できます。



トロッコ列車の終点は、「峠の湯」駅まで。



この先は、線路だけは、軽井沢につながっています。
今にも列車が通過しそうな錯覚を感じますが、線路の錆が、それが思い出だったことを知らせてくれます。





「碓氷峠鉄道文化むら」には、いろいろな静態保存の車両が並んでいます。
しかし、私は機関車の墓場みたいであまり好きではありません。
ただ、今はない車両や貴重な車両を見ると、懐かしさや当時の思い出がよみがえって来るのはうれしいものです。

このステンレスのEF30を見ると、九州に来たんだという感慨がこみ上げてきたものです。



非電化区間では、しょっちゅう見られたキハ20やDD51。





今、現代の人々が求めているものは、単に「速さ」や「効率」だけではないはずです。
そこには、「人間味」や「心の豊かさ」があると思います。

渋川駅で、D51の牽引する「奥利根号」に出くわしました。



今まで蒸気機関車を見たことのない人々は、煙を出し、けたたましい汽笛を鳴らして出発していく姿に、何かを感じるのだと思います。

蒸気機関車が行ってしまったあと、二人の男女が、「蒸気機関車に出会えてよかったね!」と笑顔でホームを後にしていました。






ホームには、まだ懐かしい煙の匂いが漂っていました。








  

Posted by Norichan at 18:00Comments(0)鉄道

2008年08月12日

「ダムに沈む村」という詩集


「ダムに沈む村」
-私の生まれたダムに沈む村は美しい渓谷とひなびた小さな温泉場-



この詩集を出されたのは、吾妻郡長野原町川原湯温泉で生まれ育たれた豊田政子さん。
川原湯温泉で民宿「雷五郎」を営まれています。
私がおじゃましたときは、左手を痛められており、民宿には泊まれなかったのですが、ぜひお会いしたくて突然訪問。
入り口には、愛犬のゴンが暑かったので自宅で休憩。



そして、庭のベンチでお茶をご馳走になり、気さくに話をさせていただきました。



そして、いろんなお話をお聞きしました。
この村を変えることになってしまったダムは、八ッ場ダム(やんばダムと読みます)。
もう50年以上も前の昭和27年にダム建設の計画が発表されたそうです。
その話をおじい様から聞かされたのは、豊田さんが16歳の時。
それ以来、ダム騒動の苦悩を背負わされる一生となります。
自分の生まれ育った村や美しい渓谷、そして温泉がダムに沈んでしまう思いを詩に託されました。

すばらしい詩の数々。
そこには、ふるさとを思う気持ちが、ふるさとに咲く花のスケッチとともに綴られています。
そういえば、この村には、いろんな花が咲き乱れていました。










その詩の中に、「木造校舎(長野原町立第一小学校)」という詩がありました。
私は、その現場を次の日に訪ねました。
今は、八ツ場ダム調査事務所となっている場所が、その小学校のあった場所でした。



ここの坂を上って登校されたんですね。



ここで運動会をされたんでしょうね。



50年以上も前に計画され決定されたということで進められていくダム建設。
今、本当に必要なのか?
10年一昔といわれる中、今はそれ以上に短い周期で世の中はどんどん変わっています。
自然破壊を、人間の手で起こしてしまうダム建設。
自然が、何千年、吾妻渓谷の一部も水没し、そして何より、川原湯温泉全体を水没させるダム。
あらためて、本当に必要なのかという疑問を感じました。

吾妻渓谷のすばらしい白糸の滝も見ました。
この滝も、5年後には無くなります。

ダム建設自体が自然破壊を起こしているのではありません。
今は、まだダム自体はできていません。
動き出しているのは、人工湖を跨ぐ大きな橋の橋げたや山肌を大きく削っての人工湖の上にできる造成地の整備。
ダム建設のために、どれほど多くの自然が破壊されていることか!







人間はいつかは死ぬものとはわかっています。
しかし、自然は脈々と永続的なものだと思っていました。
でも、何万年という歳月の中で作り上げたすばらしい渓谷や滝や緑、そして人の生活を、人間の手によって、いとも簡単にそして無残にもなくしてしまうのです。
つくづく、人間の傲慢さを感じざるを得ませんでした。

夕方の5時になると、村全体にオルゴールが響き渡します。
そうすると、今まで唸りを上げていたブルドーザーなどの重機の音が消えて、アブラゼミとカジカの鳴き声が帰ってきました。

「ダムに沈む村」:豊田政子著
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%80%E3%83%A0%E3%81%AB%E6%B2%88%E3%82%80%E6%9D%91-%E8%B1%8A%E7%94%B0-%E6%94%BF%E5%AD%90/dp/4880589152/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=books&qid=1218937687&sr=8-3

  

Posted by Norichan at 17:00Comments(0)

2008年08月11日

ダムに沈む渓谷

川原湯温泉から少し吾妻川を下ると、吾妻渓谷。
この渓谷は、ダムの建設で、完全には消滅しないものの、一部はダムの下に沈みます。
渓谷の保存を求める反対運動の声に配慮し、国側はダムサイトの建設地を当初予定地から現在地へと600m程度上流に移動させたそうです。
でも、白糸の滝や吾妻川に流れ込む沢の流れが水没するのには変わりがありません。
「自然を大切にしましょう」という看板が、何と空々しいことか!



渓谷の入り口を入ってすぐに現われるのが、三段の美しい糸を引いたように流れ落ちる「白糸の滝」



とても素晴らしい滝だけに、せめてももう少しでも上流にしなかったのか・・・
残念でなりません。



少し山を登っていくと、そこには、吾妻川に流れ込む沢。
名前は付いていなくても、素晴らしい渓谷美です。







この美しい流れは、いったいどれだけの歳月が作り上げたのでしょうか?
それを、数年でいとも簡単につぶしてしまう。
建設を決めた「政治屋」は、本当にこの沢の流れを見たのでしょうか?
この沢の水の冷たさを感じたのでしょうか?
これを感じたら、自分の子供に手をかけられないはずです。


  

Posted by Norichan at 20:00Comments(0)

2008年08月10日

ダムに沈む村の昔

ダムに沈むこの村は、1783年(天明3年)の浅間山の噴火による泥流の被害を受けた村でした。
この泥流によって、長野原町や嬬恋村など吾妻川流域を中心に1,500人の死者を出したといわれています。
川原湯温泉付近もこの泥流の被害に遭い、現在、その当時の東宮遺跡の発掘調査が行われています。
遺跡の場所は、長野原町川原畑東宮地内で、吾妻川左岸に広がるところ。
ちょうど吾妻線の横にありました。



私が訪れた時は、暑い中を、多くの方々が発掘の最中。
細かくて大変な作業です。



私が興味深げに発掘現場を見ていたら、この発掘をされている方が私に「案内しましょうか」と声をかけてくださいました。
財団法人群馬県埋蔵文化調査事業団の調査研究グループリーダーの飯田先生でした。
そこで、お忙しい中を案内していただきました。

この遺跡は、屋敷跡3・畑19・石垣9・溝5、道4などが見つかったそうです。
これは、きっちり積まれた石垣です。



これは、板の間だったようです。



溝も、石組みがされて、しっかりとしたものでした。



発掘現場には、漆器のようなものが顔を出していました。



発掘現場では、どんどん新たな発見があり、ちょうど布のようなものが見つかったと先生に報告されていました。



225年前のここには、まさしく普通の毎日の生活があったことがわかります。
それが、一瞬のうちに泥流に飲み込まれてしまったのです。
山の噴火による泥流被害は、天災です。
自然の力の恐ろしさがわかります。

でも、今度は人間の手で、この土地を水の底に沈めてしまう。
自然の力よりも、人間(政治屋)はもっと恐ろしいものだと、あらためて感じました。

飯田先生は、そのあと、車でわざわざ事務所の収蔵庫にも案内してくださいました。
そこには、回りの遺跡で発掘された縄文時代、弥生時代などの土器も展示されていました。



飯田先生本当にありがとうございました。

そして、この事務所の建っている場所が、昔の長野原町立第一小学校の跡地でした。











  

Posted by Norichan at 20:00Comments(0)

2008年08月09日

ダムに沈む村の石仏たち

川原湯や川原畑などの地区には、村の守り神として祀られてきた「道祖神」などの石仏がいたるところに点在しています。
川原湯温泉にある川原湯神社では苔むした道祖神が、お参り来る人を守ってくれています。





川原湯神社では、毎年この温泉が出たことをお祝いして、みんなで湯をかけあう「湯かけ祭り」が行われます。



川原湯温泉駅には、その「湯かけ祭り」の写真が飾られていました。



小高い山を登っていくと、反対側の川原湯温泉が見渡せる川原畑へ。
馬頭観音が、沈み行く村をじっと見つめていました。



  

Posted by Norichan at 20:00Comments(0)

2008年08月08日

ダムに沈む線路(吾妻線川原湯温泉付近)

吾妻線(あがつません)の岩島駅-長野原草津口駅間は、八ッ場ダム(やんばダム)建設に伴って、新線に付け替えられるます。
川原湯温泉駅を出て、長野原草津口へ向かうとすぐに吾妻川を渡ります。
この鉄橋も水没します。
この流れは、吾妻渓谷に続きますが、その一部もダムとともに消えてなくなります。



のどかな川原湯温泉を背に、電車は走り抜けていきます。





電車が走りぬけたあとには、アブラゼミの声をかき消すように、山を削るブルドーザーの無残な音が、あたりに響き渡っていました。





  

Posted by Norichan at 20:00Comments(0)

2008年08月07日

ダムに沈む駅(吾妻線川原湯温泉駅)

吾妻線(あがつません)は、群馬県渋川市の上越線渋川駅から群馬県吾妻郡嬬恋村の大前駅を結ぶローカル線です。
吾妻線の沿線には、草津温泉のほか、四万温泉・沢渡温泉・川原湯温泉・尻焼温泉といったそれぞれ趣きのある温泉があります。
そのうちの岩島駅-長野原草津口駅間は、八ッ場ダム(やんばダム)建設に伴って、新線に付け替えられる予定。
しかし、それに伴って、ダムの下に沈むのが、「川原湯温泉駅」です。





夏休みだったので、昼間の駅は、数人の温泉客が降りるだけ。





クーラーのない待合室には、バッタが1匹座っていました。





あと5回、この暑い夏を越すと、この駅舎も水没します。



そして、この真新しい煙突も・・・



きょうも、旅行客の若者の元気な声が聞こえ、そして、電車は出て行きました。







  

Posted by Norichan at 20:00Comments(0)

2008年08月06日

ダムに沈む湯治場(川原湯温泉)

術後の傷を癒すために、湯治に出かけました。
出かけた先は、群馬県の川原湯温泉。



歓楽街があるという温泉ではなく、昔ながらの湯治場といった温泉。
でも、この温泉街は、5年後にはダムの底に沈んでしまいます。
50年前に計画されていた「八ツ場ダム」が完成し、水没するのです。

もう、住人の3分の2は、代替地に引っ越されたとのこと。
このお食事処も、昔は繁盛してたのでしょうね。



この温泉もあと5回季節がまわるとなくなるのかと思うと感慨深い湯治です。

温泉は、浅間山が近いので、温質も良好。
1193年に、源頼朝が狩をしている最中に発見したとされています。
〈泉質〉 食塩石こう硫化水素泉
〈泉温〉 72℃~82℃
〈性状〉 無色透明 硫化水素臭あり
〈効能〉 胃腸病 神経痛 婦人病 痔疾 リュウマチ

新源泉にある足湯には、いつも近所の人が、足湯を楽しんでいました。



付近には、いろんな共同浴場もあり、その中でも、寸志で入浴できる混浴のこの聖天様の露天風呂は、緑の中にあります。



ここに男女で入ったら、子宝に恵まれそう。
露天風呂の横にある聖天神社は、それを暗示しています。


私が滞在したのは、「やまた旅館」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~yamata/
陶芸家のご主人の作られたさまざまな器が並ぶ食事。
食材は、奥吾妻地方の山菜、川魚、野菜、肉などの豊富材料を用いた素朴なもの。



旅館内は、いろんなところに昔の面影が残っていて、ちょっとしたこころ配りにハッとさせられます。
ガラス窓に差し込まれた落ち葉が、外からの光で、素敵なシルエットです。



真夏の木々の緑が、まるで額縁の絵のように見える午後のひと時です。



旅館の中には、掛け時計がいっぱい。
でも、その時計は止まっていました。
そして、この温泉場も、5年後には、永遠に時を止めてしまうんでしょう。










  

Posted by Norichan at 20:00Comments(0)

2008年08月06日

今風のワンちゃんの散歩



きょう、自転車のバスケットの中にちょこんと座っている犬を見ました。
たぶん、飼い主様と買い物にでも出かけるのでしょう。
とっても可愛かったです!

先日、友達の犬を、散歩させていたら、変なものを食べたらしく、お腹を壊し、大変だったそうです。(治療費も・・・face07
回復した後は、愛犬を自転車の前のバスケットにいれて、散歩していましたicon74
「これって散歩icon75

高い治療費は怖いけれども、やはり、野原を好き勝手に走り回れる環境を作ってあげたいですね。icon12
ターシャの家のコーギーような・・・

http://www.nhk-sc.or.jp/event/contents/tasha.html



  

Posted by Norichan at 07:30Comments(1)私の思い