2011年09月22日
鴨東運河の今昔 (南禅寺付近・インクライン)
京都と琵琶湖を結ぶ「琵琶湖疎水」は、水道用水の確保と、船での交通の充実を図るために明治時代に建設されました。
琵琶湖疎水を舟で抜けて、京都まで荷物や人を運んでいました。
しかし、琵琶湖疎水の終着と京都市内の運河までに高低差があったので、船が上がれない急な坂を貨車を使って引っ張り上げるための傾斜鉄道がインクライン(incline )です。
今もその線路が残っていて、春は桜が咲き誇ります。

そして、琵琶湖側から下ってくると、この船着場に下ろされます。
今は、向こう側に円山動物園があります。

そこから、西の鴨川に向かって、鴨東運河が延びていきます。

この写真は、琵琶湖疎水記念館に展示されていた明治28(1895)年の風景です。(中川邦昭氏所蔵資料)
京都の今昔物語です。

そして、今もこの鴨東運河は、琵琶湖からの水を流し続けています。

インクラインの上の船着場跡は、こちらです。
琵琶湖疎水を舟で抜けて、京都まで荷物や人を運んでいました。
しかし、琵琶湖疎水の終着と京都市内の運河までに高低差があったので、船が上がれない急な坂を貨車を使って引っ張り上げるための傾斜鉄道がインクライン(incline )です。
今もその線路が残っていて、春は桜が咲き誇ります。

そして、琵琶湖側から下ってくると、この船着場に下ろされます。
今は、向こう側に円山動物園があります。

そこから、西の鴨川に向かって、鴨東運河が延びていきます。

この写真は、琵琶湖疎水記念館に展示されていた明治28(1895)年の風景です。(中川邦昭氏所蔵資料)
京都の今昔物語です。

そして、今もこの鴨東運河は、琵琶湖からの水を流し続けています。

インクラインの上の船着場跡は、こちらです。
Posted by Norichan at 07:00│Comments(0)
│京の旅