2009年06月07日
ヴォーリズの原点 (滋賀県立八幡商業高校)
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、アメリカに生まれ、 英語教師として来日、その後、建築家として日本で数多くの西洋建築を手懸けました。
彼の建築物は、住む人、使う人のためのもので、そこには温かさが込められています。
これから、彼の残した建物を訪ねたいと思います。
彼は、1905年に来日し、彼が英語教師として赴任したのが滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高校)。
この校舎は、1940年に彼が設計して竣工。

滋賀県立八幡商業高校は、「近江商人の士官学校」と評され、「三方よし」の近江商人の精神が受け継がれています。
下着メーカーのワコールの創業者塚本幸一氏もここの卒業生。

この校舎は、そういった人々を育んだ学びの園だったのです。

英語教師として着任して2年後の1907年には、学生への伝道に反発する人たちとの摩擦を避けたいとの校長からの要請により、英語教師の職を失っています。
でも、その後、彼は建築設計を手がけ、ゆるぎない地位を固めますが、そのような痛い仕打ちを受けた学校の校舎の設計を30年に引き受けたのも、彼のキリスト教精神と思いやりのこころがそうさせたのでしょう。

彼の建築物は、住む人、使う人のためのもので、そこには温かさが込められています。
これから、彼の残した建物を訪ねたいと思います。
彼は、1905年に来日し、彼が英語教師として赴任したのが滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高校)。
この校舎は、1940年に彼が設計して竣工。
滋賀県立八幡商業高校は、「近江商人の士官学校」と評され、「三方よし」の近江商人の精神が受け継がれています。
下着メーカーのワコールの創業者塚本幸一氏もここの卒業生。
この校舎は、そういった人々を育んだ学びの園だったのです。
英語教師として着任して2年後の1907年には、学生への伝道に反発する人たちとの摩擦を避けたいとの校長からの要請により、英語教師の職を失っています。
でも、その後、彼は建築設計を手がけ、ゆるぎない地位を固めますが、そのような痛い仕打ちを受けた学校の校舎の設計を30年に引き受けたのも、彼のキリスト教精神と思いやりのこころがそうさせたのでしょう。
Posted by Norichan at 11:00│Comments(0)
│ヴォーリズの世界