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2007年05月05日

室生犀星を訪ねて~母校の校歌~(金沢)

金沢に行ってきました。
何年ぶりかの訪問です。
室生犀星を訪ねて~母校の校歌~(金沢)

その中でも、どうしても行きたかったところのひとつが、 「室生犀星記念館」
http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/bunho/saisei/
室生犀星を訪ねて~母校の校歌~(金沢)

室生犀星を訪ねて~母校の校歌~(金沢)

なぜ行きたかったかというと、私の母校の小学校の校歌を作詞したのが室生犀星だったのです。
小学生の時には、有名なひとが作詞したとは知っていましたが、詳しくは知りませんでした。
今になって思うと、そのすばらしい校歌を歌っていたんだと感動します。
http://academic2.plala.or.jp/mgm3e/annai/w%20koka.htm

犀星の日記の昭和24年11月11日には、この校歌が記されています。

「馬込第三小学校校歌

幼年のひをおくる
まなびや馬込第三
幼年の日よ しづまれ
みどり野に永くとどまれ。
  そのかみの貝塚
  そのかみはわだつみ
  いにしへは魚(いお)あつまり
  魚もうたひけむ。
われら何を記すべき
われら何をまなぶべき
われらの行くところ
師よみちびこをあたへてよ。」

校歌の最後の部分、「師のみちびきをあたへてよ。」という部分について、犀星は昭和24年11月15日の日記に、こんなことを記しています。

『「校歌」成稿、朝巳に持たせてやる。「師のみちびきをあたへてよ、」の「てよ、」が甘いような気がするが、訂してもかまはない旨を手紙に書く。「師よ、みちびきをあてへよ。」とするか。いづれにてもよい。』

こんなやりとりが、わが母校の校歌を作られた中であったことを知り感動しました。

私は、確かに、この「あたへてよ」という部分に、とっても可愛いいけど、校歌にしては違和感を感じていました。
それが、40年経った今、理解できたような気がします。

実際の校歌です。
http://academic2.plala.or.jp/mgm3e/annai/m%20koka.MP3
室生犀星を訪ねて~母校の校歌~(金沢)

現在、校内には「いおの森」が作られ、校歌の碑と、平成13年には移築復元された馬込の犀星宅の離れがあります。
なお、「いお」とは、魚のことで、校歌の中でも出て来ます。

私も、その中の「一匹のいお(魚)」であることに誇りを感じています。


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Posted by Norichan at 12:00│Comments(0)
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