2024年02月04日
小関越えで山科へ(大津市〜京都市・小関越え)
午後の散歩のつもりで歩き出したらひと山越えて、山科まで歩いてしまいました。
そんな小関越えのツアー記です♬
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小関越えから園城寺(三井寺)へ向かう道の分岐点に立つ江戸時代中頃に建てられた道標。
「左り三井寺 是より半丁」「右小関越 三条五条いまくま 京道」
ここから午後の散歩のスタートです♪

結構な上り坂ですが、サミット近くで太陽が顔を出しました。

サミットには小さな祠がありました。

鎮座するお地蔵さんは、昔からの旅人も旅の安全をお祈りしたのでしょう。

サミット付近で旧道を見つけたので、当然細い旧道へ。

こちらの道が昔から残る旧道のようです。

途中で見つけた琵琶湖疏水の第1竪坑。
深さは約47mあり、第1トンネルを掘るために、山の両側から掘り進むほか、山の上から垂直に穴を掘り、そこからも両側に掘り進めて工期を早めたそうです。

山科側に出ると、ここにもお地蔵さんが出迎えてくれました。

そして越えてきた峠の下に掘られていた琵琶湖疏水。

こちらのトンネルの扁額の揮ごう者は初代内務大臣の山縣有朋。
廓其有容(かくとしてそれいるることあり)
「疏水をたたえて悠然と広がる大地は、すべてを受け容れる器を有している」

ここまで来ると山科。
学校帰りの小学生とおじいさんが東海道本線と湖西線を跨ぐ跨道橋を上ります。

東海道本線の電車が行き違う向こうに、夕陽が沈みかけていました。

旧東海道との分岐点には、いま通った道を示す「三井寺観音道」という大きな道標がありました。
京都側からすると、小関越えの道は三井寺への巡礼の道だったのです。

旧東海道には古い民家も多く残されています。

そして日が暮れ出したので、京阪電車の四宮駅から帰宅の途につきました。

ほんの5キロ、1時間20分ほどの小旅行でした♬

(2024年2月1日撮影)
そんな小関越えのツアー記です♬
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小関越えから園城寺(三井寺)へ向かう道の分岐点に立つ江戸時代中頃に建てられた道標。
「左り三井寺 是より半丁」「右小関越 三条五条いまくま 京道」
ここから午後の散歩のスタートです♪

結構な上り坂ですが、サミット近くで太陽が顔を出しました。

サミットには小さな祠がありました。

鎮座するお地蔵さんは、昔からの旅人も旅の安全をお祈りしたのでしょう。

サミット付近で旧道を見つけたので、当然細い旧道へ。

こちらの道が昔から残る旧道のようです。

途中で見つけた琵琶湖疏水の第1竪坑。
深さは約47mあり、第1トンネルを掘るために、山の両側から掘り進むほか、山の上から垂直に穴を掘り、そこからも両側に掘り進めて工期を早めたそうです。

山科側に出ると、ここにもお地蔵さんが出迎えてくれました。

そして越えてきた峠の下に掘られていた琵琶湖疏水。

こちらのトンネルの扁額の揮ごう者は初代内務大臣の山縣有朋。
廓其有容(かくとしてそれいるることあり)
「疏水をたたえて悠然と広がる大地は、すべてを受け容れる器を有している」

ここまで来ると山科。
学校帰りの小学生とおじいさんが東海道本線と湖西線を跨ぐ跨道橋を上ります。

東海道本線の電車が行き違う向こうに、夕陽が沈みかけていました。

旧東海道との分岐点には、いま通った道を示す「三井寺観音道」という大きな道標がありました。
京都側からすると、小関越えの道は三井寺への巡礼の道だったのです。

旧東海道には古い民家も多く残されています。

そして日が暮れ出したので、京阪電車の四宮駅から帰宅の途につきました。

ほんの5キロ、1時間20分ほどの小旅行でした♬

(2024年2月1日撮影)
この記事へのコメント
地元にいて
知らないだけで色んな
ところがあるものですね!
みのる
知らないだけで色んな
ところがあるものですね!
みのる
Posted by guild
at 2024年02月04日 20:26

旧道を歩くと、昔の人の旅の苦労が体験できます。
Posted by Norichan
at 2024年02月04日 21:48
