2009年07月25日
明治の風薫る庭園 (無鄰菴)
無鄰菴(むりんあん)は、明治・大正の元老山県有朋が京都に作った別荘。
その大半は、東山を借景にした広い庭園。

琵琶湖疎水の水を取り入れた庭園は、三段の滝、小川から庭へと続きます。

建物は簡素な木造2階建。

母屋からは、広々とした庭が広がり、その先には、東山が見えます。

また、園内には、土蔵のようなつくりの洋館があります。

この洋館は、明治36年(1903年)に山県有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の4人が、日露戦争開戦直前の外交方針を決めた「無鄰菴会議」というのが行われた場所だそうです。
当時のままの調度品が残っていました。

その大半は、東山を借景にした広い庭園。
琵琶湖疎水の水を取り入れた庭園は、三段の滝、小川から庭へと続きます。
建物は簡素な木造2階建。
母屋からは、広々とした庭が広がり、その先には、東山が見えます。
また、園内には、土蔵のようなつくりの洋館があります。
この洋館は、明治36年(1903年)に山県有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の4人が、日露戦争開戦直前の外交方針を決めた「無鄰菴会議」というのが行われた場所だそうです。
当時のままの調度品が残っていました。
Posted by Norichan at 16:00│Comments(0)
│京の旅