2009年01月25日
生活が息づく三条白川の流れ (東山三条)
仁王門通神宮道付近の琵琶湖疎水から引き込まれて、知恩院、祇園を経て鴨川へ流れ込む白川。
この川は、1kmちょっとの流れですが、いろんな顔を見せてくれます。
三条白川から華頂短大の付近までの流れは、柳並木の中、毎日の生活を感じる川です。


この橋は、一本橋。
行者橋とも呼ばれ、比叡山の阿闍梨修行で千日回峰行を終えた行者が、京の街に入洛するときに最初に渡る橋だそうです。
毎日行き交う人で、石の橋も磨り減っていました。

鷺も飛んでくる美しい流れです。

三条通に架かる「白川橋」

(友人が撮影した34年前の同じ場所の風景が見れます。)
この橋の横には、このような道標が立っています。

この道標は、延宝6(1678)年 というから330年も前に立てられた京都の道標で現存最古というもの。
「これより左 知恩院 祇園 清水道」
側面には「京都に無案内な旅人のために建てた」と記されていました。

今も変わらず、時間も流れていました。
この川は、1kmちょっとの流れですが、いろんな顔を見せてくれます。
三条白川から華頂短大の付近までの流れは、柳並木の中、毎日の生活を感じる川です。
この橋は、一本橋。
行者橋とも呼ばれ、比叡山の阿闍梨修行で千日回峰行を終えた行者が、京の街に入洛するときに最初に渡る橋だそうです。
毎日行き交う人で、石の橋も磨り減っていました。
鷺も飛んでくる美しい流れです。
三条通に架かる「白川橋」
(友人が撮影した34年前の同じ場所の風景が見れます。)
この橋の横には、このような道標が立っています。
この道標は、延宝6(1678)年 というから330年も前に立てられた京都の道標で現存最古というもの。
「これより左 知恩院 祇園 清水道」
側面には「京都に無案内な旅人のために建てた」と記されていました。
今も変わらず、時間も流れていました。
Posted by Norichan at 08:00│Comments(6)
│京の旅
この記事へのコメント
行者橋、街の真ん中にこんな風情のある
橋が残っているんですね。それを何気なく日常の生活に使っている、いかにも京都らしいと思いました。
白川橋、電車は走らなくなっても景色はあまり変わらないんですね。34年は、長いのか短いのか?
Posted by つばさ82 at 2009年01月26日 20:08
つばさ82さんへ♪
京津線の80形電車はどこから撮影されたのでしょうか?
陸橋はないし、どこかのビルの階段からでも撮影したのでしょうか?
町屋はどんどん少なくなっています。
いま、町屋が気になって仕方ありません。
Posted by Norichan at 2009年01月26日 20:41
こんばんわ。
柳の緑が眼にまぶしい白川の流れですね~
欄干無しで、お人達がすいすいと渡って
落ちないか?と若干心配に・・。
橋のたもとの道標も時代を表していますね。流麗なひらがなは、解説して頂いて、
意味がよく解かりました・。
Posted by 雪童子 at 2009年01月26日 23:45
雪童子さんへ♪
石橋の端っこを歩くと危ないので、みんな橋の真ん中を歩くんです。
ですから、石橋の真ん中が長い年月で磨り減ったんですね。
長い年月ってすごいなあと、この石橋を見ると思います。
Posted by Norichan at 2009年01月27日 20:47
Norichanへ
京津線の撮影は歩道橋上からです。帰宅し運転席後方から撮影したビデオで確認したところ、東山三条-蹴上げ間に当時は歩道橋がありました。
歩行者は、歩道橋をという時代から、お年寄りなどでも楽に横断できるようにと横断歩道復権の時代になってきました。実家近くの国道1号線を渡る歩道橋の下、長い間横断禁止でしたが、現在は横断歩道が設置され、母を含め多くの人が利用しています。
また、京都ですから景観に配慮して撤去されたのかも知れませんね。
Posted by つばさ82 at 2009年01月28日 06:56
つばさ82さんへ♪
やはりそうでしたか。
当時歩道橋を考えた人は、人間をどのように捉えていたのでしょうね。
老人のことなどは考えなかったんでしょうかね。
今は、三条の通りは、東山から河原町まで、電柱も地下にもぐり、景観がすっきりしています。
Posted by Norichan at 2009年01月28日 17:22