2008年10月28日
日本の教育の将来を考えた書斎~新島襄~
新島襄を知っていますか?
新島襄は同志社大学の創設者です。
江戸から明治に国が大きく動く真っ只中、国のご禁制を破って、21歳のときに函館からアメリカに渡り、帰国後、同志社英学校を作りました。
その後、彼の精神が受け継がれ、同志社大学となりました。
同志社大学は京都御所のすぐ北側に。
新島襄の住んでいた家は、御所の東側に位置する寺町通りにあります。
洋風の外観ですが、家の中は和洋折衷。
その1階の南向きの部屋に、彼の書斎があります。
彼の椅子は、背もたれに革が巻かれています。

彼が、この机の前に座って、100年先の日本を夢見て、これからの日本の教育を考えていたのだと思うと、感慨深いものを感じました。

神社仏閣に囲まれた京都の真ん中に、キリスト教の精神にのっとった学校を作るという大事業。
彼の背中から当たる日差しの暖かさが、さぞかし彼の心にも暖かさを感じさせたことでしょう。

書斎の周りの壁には、洋書がずらりと並んでいます。
「 A History of Philosophy 」
そんな書物も並んでしました。

日本の教育を考え、将来の日本を担う人間を育てたいという思いが、この書斎を見た時に、痛烈に感じました。
「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」 新島襄

新島襄は同志社大学の創設者です。
江戸から明治に国が大きく動く真っ只中、国のご禁制を破って、21歳のときに函館からアメリカに渡り、帰国後、同志社英学校を作りました。
その後、彼の精神が受け継がれ、同志社大学となりました。
同志社大学は京都御所のすぐ北側に。
新島襄の住んでいた家は、御所の東側に位置する寺町通りにあります。
洋風の外観ですが、家の中は和洋折衷。
その1階の南向きの部屋に、彼の書斎があります。
彼の椅子は、背もたれに革が巻かれています。
彼が、この机の前に座って、100年先の日本を夢見て、これからの日本の教育を考えていたのだと思うと、感慨深いものを感じました。
神社仏閣に囲まれた京都の真ん中に、キリスト教の精神にのっとった学校を作るという大事業。
彼の背中から当たる日差しの暖かさが、さぞかし彼の心にも暖かさを感じさせたことでしょう。
書斎の周りの壁には、洋書がずらりと並んでいます。
「 A History of Philosophy 」
そんな書物も並んでしました。
日本の教育を考え、将来の日本を担う人間を育てたいという思いが、この書斎を見た時に、痛烈に感じました。
「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」 新島襄

Posted by Norichan at 18:30│Comments(2)
│私の思い
この記事へのコメント
今は机を壁にくっつけたり、窓を目の前にしますが、近代から現代にかけての著名人は、部屋の中央に机を置かれる方が多いですね。
たしか三島由紀夫もそうでした。
空間からいろんなイメージが浮かんでくるのでしょうか。
味わいのあるお部屋ですね。
Posted by みり at 2008年10月28日 23:38
みりさんへ♪
私も部屋の中央に机を置こうかな。
でもそのためには、掃除をしなくては・・・
どこかで発想を変えないといけませんね。
Posted by Norichan at 2008年10月29日 06:38