2020年05月15日
2020年05月15日
逢坂山を抜けて(山科・琵琶湖疎水)
琵琶湖の水が逢坂山を抜けてきました。

山科側の第一トンネル西口に刻まれた扁額(石の額)『廓其有容』は、初代内務大臣の山縣有朋によるもの。
「かくとしてそれいるることあり」
「悠久の水をたたえ,悠然とした疏水のひろがりは,大きな人間の器量をあらわしている」

琵琶湖から流れてきた水は、ここから京都に入ります。

明治時代に造られた疎水の石組み。

暖かい日差しが降り注ぎ始めます。

1ヶ月前には満開だった桜は、目にも鮮やかな新緑になりました。

(2020年5月8日撮影)

山科側の第一トンネル西口に刻まれた扁額(石の額)『廓其有容』は、初代内務大臣の山縣有朋によるもの。
「かくとしてそれいるることあり」
「悠久の水をたたえ,悠然とした疏水のひろがりは,大きな人間の器量をあらわしている」

琵琶湖から流れてきた水は、ここから京都に入ります。

明治時代に造られた疎水の石組み。

暖かい日差しが降り注ぎ始めます。

1ヶ月前には満開だった桜は、目にも鮮やかな新緑になりました。

(2020年5月8日撮影)