2009年01月31日
日ノ岡峠を牛車が通る (山科日ノ岡峠)
山科から東山を越える日ノ岡峠は、東海道で逢坂山を越えたあと京都の市内に入る最後の峠でした。
江戸時代、ここを牛車(ぎっしゃ)が荷物を運ぶ道になっていて、牛車の車がちょうど通るレールのような石が敷き詰められていました。
その石が「車石」。

重さ300kgの牛車に米俵9俵(540kg)を載せた牛車が、年間二万輌以上往来していたそうです。
雨が降るとぬかるんで動かなくなる牛車。

そこで、敷設されたのがこの車石。
年間二万輌以上も往来することでえぐられ、丸く深い溝をつくっていったのだそうです。

明治に入って、近代的な道に整備され、車石は道路の溝石や峠道の保護壁などに転用され、日ノ岡峠には、今もその車石が壁に使用されています。

この交差した石は、たぶん交差点のようなところに設置されていた車石でしょうか。

右の石垣にも、多くの車石が使われています。
日ノ岡峠は、今も多くの車がひっきりなしに通過していきます。

江戸時代、ここを牛車(ぎっしゃ)が荷物を運ぶ道になっていて、牛車の車がちょうど通るレールのような石が敷き詰められていました。
その石が「車石」。
重さ300kgの牛車に米俵9俵(540kg)を載せた牛車が、年間二万輌以上往来していたそうです。
雨が降るとぬかるんで動かなくなる牛車。
そこで、敷設されたのがこの車石。
年間二万輌以上も往来することでえぐられ、丸く深い溝をつくっていったのだそうです。
明治に入って、近代的な道に整備され、車石は道路の溝石や峠道の保護壁などに転用され、日ノ岡峠には、今もその車石が壁に使用されています。
この交差した石は、たぶん交差点のようなところに設置されていた車石でしょうか。
右の石垣にも、多くの車石が使われています。
日ノ岡峠は、今も多くの車がひっきりなしに通過していきます。